田舎の午後

毎日都会に通う日々と、後数日で一旦別れとなる。
色々あるのが日々だけれども、どんなそれでも礼を云いたい人達はいるもので、今日はその人達への進物を買いに、地元の百貨店へ行った。地方小都市でありながら、百貨店、と名のついた建物が駅前に建っている。が数十分も自転車もしくは自動車を走らせれば田園地帯が広がる。
事務所の社員全員に行きわたるように、と考えて購入した進物を、自転車の籠に入りきらないので腕に通し自転車をこぎ出した数分後、雨の匂いを感じた途端躱しようのない夕立に見舞われた。
普段ならば、濡れるのも構わず走り抜けるのだが、進物が台無しになるのを恐れて雨宿り先を探せば、丁度良いところにお地蔵様のおわす小屋が見えたので、しばし軒を借りることにする。
幼稚園に通っていた頃や、町に出る時は必ず前を通っていた小屋で、最近土地の整備と共に改築された様だった。新しい木の香りが、徐々に強くなる雨脚で立ち上がる。雨はなかなか止まない。止まない雨はない、とか、もうしばらく軒先を貸してください、とか唱えつつ、じいっとそらを見る。
一瞬晴れ間が覘いて、虹が架かった。時折壁なんかにふと映るプリズムの七色と同じ様な作用が、遥か上空でしかもあんなに大きく半分の輪っかになって起こるなんて、と科学に弱い頭で考える。上空に今きらきらと光っている無数のプリズムを浮かべていると、再び雨脚が強くなり、ふと目を他にやっているうちに虹も消えてしまっていた。
夏の通り雨は美しい、と感じるのは、今地元の田舎に立っているからだろうか、と都会での日々を思う。見たいと思った時にごく軽く首を持ち上げただけでそらが見える。雲間から放たれた午後最後の光線が、勢いよく降り続く雨をまるで檸檬の滴の様な色に染める風景に、愛を感じざるを得ない。地蔵尊の軒下というのは、何とも落ち着く場所だと気付いた所為もあるかもしれない。
財布にあるありったけの小銭をかき集めてさい銭箱に入れ、鈴を鳴らしてお地蔵様にお邪魔したお礼を云って軒下を出た。
そういえば会社勤めを始めた時に購入してから一度も面倒を見てこなかった自転車を、雨でずぶ濡れになったついでにくまなく雑巾がけした。
一人だな、とか、落ち着いたな、とか感じながらも一方で、ものや人、土地や土地にある何かといつもどこかで沢山繋がっているものなのだ、と静かに思う午後であった。
檸檬が次第に色づいて、雨上がりは橙の浮かぶ格別美しいそらになった。