書店配布ミニ雑誌.

各出版社が出していて、書店で配布されている冊子を、たまに持ち帰る。大抵書評やエッセイ、短編や連載小説が掲載されている。
空いた時間や、電車待ちオーダー後の料理待ち人待ち等に
丁度良い分量の活字が嬉しい。(逆に云うと、もらったのはいいけれど、暇が無い時は読まずに放置されっぱなしになり、部屋で埃に塗れ、他の未読本と一緒に「小山」を形成する憂き目を見る)
内容のカラーは、冊子の出版元で面白く分かれるので、出版社の好みで選択、推測すると良いと思う。デザイン(装丁)も、ちゃんとこだわっているところが、さすが余裕(儲けにならない冊子を生産する程に)のある出版社群である。


今月はマガジンハウスの「ウフ[ceuf]」をかっぱらう。執筆陣がなかなか選び抜きの様に思われ(女性向きだが)、ライトだけれども、三度の飯のように丁度腹にたまる(しかも八分目くらい)内容だ。


中でも、やまだないと の連載に感じ入ったので、少々書いておく。
妻と夫、彼ら彼女らは結婚して大抵の場合同居しているわけだが、
お互いは果たして、お互いの持っているすべての「顔」を知っているのだろうか。知っている気になっているのだろうか。知りたいのだろうか。
小宮山さん(妻)は、サッカー観戦好きで毎週末スタジアムに行く東本さん(夫)にはついて行かない。
自分が知らない顔をしている時のその人、を「夫」だと実感する。


私も、たとえ恋人であろうとも、人のことをすべて知りたいと
思わない。


「すべて知っている」と思い込んでいる私が、
「実は知らないところがあった」と気づいた
その時の自分の驚愕ぶりが容易に想像出来るから、である。
…というような趣旨の事が、本文に書いてあった。
私が相手に対して「知っていること」が無闇に増える事を、何となく「怖い」と思ってきた原因は、そんなところなのかもしれない。


知り合いの日記は、見たいとは思わない。
「そこまで知らなくていいや」程度の思いではなくて、「知らないこと」が詰まる具合で、その人の存在を認識している様に思うのだ。所詮他人の私は「知らないこと」があって当然なのだ、すべて知ってしまうことなど有り得ない。
「知りえる」という安心感に溺れてしまっては恐ろしいし、「知らない」ことがあった方が、楽しいではないか、と勝手に本文を、転がしてしまった。

ちなみに、やまだないと の『西荻夫婦』
西荻夫婦 (フィールコミックスGOLD)が、好きだ。こんな、良いのか悪いのか微妙で絶妙な夫婦に、憧れる。