クラシックに浸かる.

毎週日曜の21時からは、NHK教育で「N響アワー」の時間。いつもはほぼ、CDでしか聴けていないクラシックを、たまには視覚を導引して味わいたい、という事で、今年の1月くらいから、時間の都合がつく時は見ている。司会者のトークも勉強になるが、まがりなりにも音楽をやっている身には、プロ奏者と指揮者の姿を見てそこから、「音楽」とは何ぞや、という彼らなりに体現している定義を受け取ることも、とてもいい勉強。そして単純に、音楽を楽しむことも毎週の楽しみ。(ただこの番組、カメラワークが、どうにも気に入らない。演奏中の目立つフレーズ、「注目すべき」とされるフレーズを演奏しているパートや楽器が、勝手にアップになり、他の楽器や指揮者の姿が、まるで見えなくなる。そんな押し付けがましい映像と鑑賞法は要らない、といいたいのだが、まあテレビなのだから、仕方あるまい。やはり真に楽しもうとするならば、お金を出して、生を観にいくことだ、という事は言うまでも無い。)

今日のN響の時間は、「思い出の名演奏」という番組に変換されていて、
名匠クラウス・テンシュテットワーグナー
 〜1988年 ロンドン・フィル日本公演から −
と銘打たれた一時間だった。この指揮者(東ドイツからイギリスに亡命)は、体調ががたがたで、指揮中も汗をかき、妙な顔色になっているにも関わらず、表情豊かに最後まで振り切った、真のマエストロである。亡くなるのは1998年だが、ずっと病魔と闘い続け、細々とでも、亡くなるまで音楽を続けたようだ。ロンドン・フィルが言うところによると、「クラウスのためなら、ロンドン・フィルは120%の力を出せる」(くらいの趣旨)のだそうだ。演奏を実際見ても、確かに熱気と気迫が、尋常ではない気がした。それは、決してしかめっ面でも眉間に皺が寄っているわけでも、トランス(はしているのかな?)して揺れまくっているわけでもないのだが、厚みのある雰囲気・オーラが、ぐぐっと、こちらに伝わってきた気がする。確かに、120%かもしれない。演奏もすばらしかったが、指揮者と奏者の関係の熱さ・厚さと、指揮者の有り様に感動した。

数々の苦境を乗り越えて、或いは苦境にいつつも、自分の信念と情熱を突き通す人は、とてつもなく素敵に見えた。マエストロ、巨匠、とはまさに、彼のこと。

うーむ、いいもの観た。

「ながら」でクラシック.
近頃、クラシックをよく聴く。ちゃんとメジャーな作品を聴いておかねば、と思い、図書館で何枚か借りる。

ベートーベンとバッハが好きだ。「ながら」作業には、バッハの無伴奏チェロ組曲。手持ちのCDは、ヨーヨー・マの演奏。丁寧にしっかりした音でありつつも、独特の解釈と風合い…別の演奏家の、円熟して官能的な演奏も、聴いてみたい。人間は、低音の方が精神的落ち着きが得られるようで、(胎動の関係か)チェロは、ヴァイオリンよりも落ち着いて聴いていられるのはその所為か。ベートーベンは、脳内麻薬が分泌されるか、曲に浸ってしまうので、どうも作業中は聴けない。今は、ベートーベンの弦楽四重奏(東京カルテットの演奏)を聴いているがツボ。比較的ライトな聴き心地なので、これなら「ながら」いけそう。

今日あたりから、湿気を含んだ気候に移ったような感があり、不快な午後であったが、寝台に寝転んでドヴォルザークを聴いていたところ、たまらなく暑く感じた……涼しげな音楽を探そう。

クラシックはつまり、ヨーロッパの民族音楽なわけだが、先週のN響アワーで、雅楽東儀秀樹氏(がオケと共演している)の音を聴き、他の民族音楽も、もっと聴いてみたい今日この頃。三味線なんかも、大好きだ。いつかやってみよう。

私の場合、まずはマンドリンをどうにかせねばならないのだが、金曜に喫茶店の21周年記念で、何か弾けといわれ…四苦八苦…今週はまともに練習せねば。私の大学生活は、音楽の神(アポロン或いはミューズ)に魂を売り渡してしまったか何かで、困った状況に陥っているわけだがそれでもやはり音楽は、止められない。