フヤケタカヴァア処理.
先日の集中豪雨で、フヤケタ上に濡れた鞄の色(濃紺)がうつって、目が当てられないくらい無残に変色してしまった、本のカバーの、廃却に踏み切った。
カバーなしの文庫本、というのも寂しく、カバーも本の一部だと私は思うので、表紙をうまい具合にカラーコピーして、紙の材質が多少変わっては(インクジェットに)いるものの、ほぼ、購入当時の姿に戻してやった。
本に自分の手垢なりがつくのは許せるが、水でふやけるのと、目立つ沁みは許せない。本が老け込んでしまうから・・・
シミ、といえば、
本を食べる虫のことを、「紙魚」と書くのは、何だか乙ではないか。実体は見たことがないのだが、あのうねうねした食い痕が、何ともお茶目(・・・?)。
ウヲ。
アテネオリムピック.
特に時期を狙ったわけでもなく、そういえばタイムリーだ、と気がついたのは、つい先程、という鈍さであるが、(私の関心は専ら、オリンピック用のTVCMに注がれている。)ここぞ、という時期であるらしい昨日、ギリシャの民族楽器ブズーキを使った、ギリシャのトラッド音楽のCDを手に取る機会があり、聴いてみた。
・・・もろかった、私の「ギリシャへのイメージ」。
それは呆気なく、一瞬にして
その全く謎の雰囲気を持った音楽により、払拭された。もはや、ギリシャは私にとって、謎の国としか言いようがない。
ギリシャといえば、文明、地中海、アテネ、古典・・・
と、知識を持たない私には、何となく漠然と高尚で崇高なイメージがあったが、そのギリシャの音楽には、全く東洋の風しか吹いていなかった。(聴いた事が無い方は、オリンピックの開会式が始まる前に、是非聴いておかれる事を、強くお薦めする。騙されたと思って、本当に。)
CDについていた解説書きを読んで、納得したことに、ギリシャは1830年までオスマン・トルコ領内であり、その後トルコからの難民がギリシャになだれ込んだ所為で、ギリシャ庶民の音楽は、トルコ風なのだそうだ。しかも、このブズーキ*の原型が入ってきたのは、第一次世界戦後らしく、案外歴史が浅い。
・・・いってみれば、ギリシャ音楽の「いわゆるトルコ風」な事実に、たまげたわけである。