夏は宵.

宵はいつの季節も好きではあるが・・・
昼間あった空気の澱みが薄らいでいく嬉しさと(湿気は残るものの)夏独特の気だるさが相まってか、夏の宵は心地よい。宵の空の色(空気、地上を吹く風にも色を感じる。・・・適当な色の名前を思いつかないが)と、道々のライトの色がまた、良いコントラストを生み出していて、完全なる「晩」になるまで、ずっと突っ立っていたくなる。(あまり遅くまで立っていると、朝の予感がしだすので、怖い。朝は怖い)

幼少の頃、夏の宵、といえば、花火でいろんな人とわいわい(無心に燃やして)楽しんだ花火とその宵が、成人してからの自分にとって、とても懐かしい。

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地元に、私が「ここぞ」と、時間帯制限付きで決め込んだ、一番の場所がある。其処は客観的に見て、特別良い場所でも、かといって荒んだ場所でもなく、何処にでもある某コーヒーチェーン店なのだが。

店の窓側のソファー、日が暮れていくのを見届けられる時間帯、そして帰宅ラッシュの大通りと自動車のライトの群れ、以上の条件で、私は「これぞ」という宵のひとときを得ることが出来る。

その店は、ある大通りに面しているショッピングセンターの一角にあり、大通りを挟んでほぼ向かい側には百貨店が建つ。一階が注文カウンターと高椅子の数席があるだけで、二階が主にくつろぎスペースになっている。私は高い場所に特に抵抗がないので(むしろ好きかもしれない)、其処の二階の微妙な高さも気に入りのひとつだ。

(またこれも、昔の記憶と懐かしさの話になってしまうのだが。)

その店の二階、ソファー席から見える風景がまた(花火と似ている様な)、たまらなくも心地よい懐かしさと追憶、回想を、澄んだ宵の色と共に私にもたらす。

ソファー席から見える、通りの向こうの百貨店に、かなり幼い頃、連休ごとに家族揃って出かけた記憶。父の自動車でドライブに出かけ、(幼い頃から車に乗せられていた所為か、父とのドライブが好きだった。)帰りは、百貨店の前の大通りを走っている間、私はドライブ疲れでうたた寝していた記憶。何事もなく人生のレールの上を滑っていくことが出来た時期の記憶や、今となってはあまり時間を共有することの出来なくなった家族の事を、大通りを走る自動車の流れと、夜の帳が降りてくる景色を、ぼやりと目に映しながら(見ている、という感覚はあまりない)コーヒーを啜っている時が、最高に落ち着ける、近頃の時間の過ごし方。


・・・ふと我にかえって、ケイタイデンワをぱちっと開けて見る。その「ぱち」と共に、現実モードへのスイッチが入り、時間の経過と晩の予定に焦るわけで。

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その、ちょっとした「宵景」をケータイに収めてupしようとするも
うまく撮れず、断念。無念残念。

夏は被写体が、増える。今日、祖母宅で見た、ひとつだけ咲いた桔梗を撮り逃がしてしまい、またもや無念。