痛.

大掃除をしてか、楽器を弾いてか、寝相の悪さか、腰を痛めた。この年にして、腰を曲げるのが辛い。

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漫画家や作家は、一体何のために何を思って、ものを書くのだろう。ポリシー等ではなく、単純にその行為に対する「なぜ」。
実際にいつか訊いてみたいものだ。
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「誰でも無く、なる」ということ.
ウィスキーのJACK DANIEL'S のサイトに行くと、お酒を注ぐ音、氷を入れる音、氷入りのグラスに注ぐ音が聴ける。ごちそうさま。

何となく、窓辺に気に入った酒瓶を並べていたら、結構増えてきて
酒呑みの部屋、という雰囲気を醸し出している・・・

私の部屋の隣で翌日、配線工事をするというので、勉強時間を投げ打って、晩〜夜中まで急遽大掃除をする羽目になり、外出先から早めに帰宅すると、自室に収納棚がなぜか突如出現していた。・・・・・・周りが白くて中身が桃色の。何がどうして桃色。ぅわーィ。わしょーィ。

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普段行かない、行ったことがない場所に行くと、自分が「誰でも無いもの」になれる、という話を思い出したその時には、既に「そんなもの」になっていた。一昨日。

近いのだけれども(電車で数駅行くなり、自転車にまたがるなりで行き着く)自分が馴染まない、馴染むことは恐らくないと感じる場所に着いた。知り合いに出くわすわけもなく、行き着けのお店もあるわけでもなく、人々や建物、風や空気なんかが、私の前を知らぬ顔でスルーしてゆく。そうして更にぼうっとし続けると、「誰」とも言えない状態、見えているものは視覚という幻想に思え、触覚は消え失せる。
唯一感じるのは、宙でとろんとろんと上下する「私」の意識。

私自身は「居る」という意識はあるのだが、視覚によって見せられているもの達は、本当に「居る」のか、本当のところ、ずっと自分で答えが出せていない。「触って」確かめることができるもの、「触って」も確かめられないもの、「触れ」もしないもの、そこにどんな違いがあるというのだろう。

(宵や朝--何かが終わりかけ或いは始まりかけ、という時間--は、
もの思いを許してくれ易い。)