電話で日記が書ける時代.

部活から引退してしまうと、途端に行き場所と部活にあてていた時間が空になった。いきなりであるので、今日からの生活に困った。しかし当面の課題は、卒論、授業への出席と卒業単位獲得、夜食と不規則な食生活で増した脂肪の燃焼、とわりあいはっきりしているので、まだ暮らしやすい方だ。演奏会後燃え尽きた状態に陥るのは毎年の事だが、燃え尽きたら燃え尽きたで、生活習慣をリセットする機会に躰を利用したい。
フヤケタ頭と躰に、激しく旨い珈琲をぶちこみたくなったが、なかなか気分と時間(本日は四時から授業なのだ)に合った珈琲屋が思い当たらない。しれっとした顔をして珈琲だけ呑みに入れる喫茶店を、新たに開拓せねば、と思った。特に早朝からのモーニングをやっているところ、卒論作業で早くに上洛した朝用に。今日は、仕方が無いので、書店に入って新刊等をチェックした後(眼鏡があるとスムーズだ...)隣の珈琲チェーンに入る。豆乳入りのモカに蜂蜜を投入、ひたすら甘くして腹を膨れさせた。
しかし、明らかに脂肪がついた。食生活の乱れとは恐ろしい。怠惰生活も改めよう。良い生活を。

御無沙汰していた書店で、新刊本等をチェックした。目新しい本や、惹かれる本に、今日は沢山出会ってしまい、むらむらである。久々の読書欲に、危うく財布の紐が緩みかけたが、自室に積み上げられたままの可哀想な未読本を想い、また「読まねばなるまい」と心を決めた古典作品(主に岩波文庫で)を思い、踏みとどまるも、一冊だけ購入してしまった。梅棹忠夫の京都案内 (角川ソフィア文庫)>民族学者による見解は、たとえ出版年が随分前でも価値がありそうだ。
教養(と楽しみの拡大)として古典作品を、と思う一方、現代の作品を読まずにはいられない。となると、明らかに一日における読書時間の割合は高くなろう。今最優先すべきは論文、読書は暫く控えめにすべきか。...と省みつつも、頭の端っこでno book, no lifeと唱えてしまっている。
読まずにいる本や読んだけれど随分前で存在があやふやな本が増え、把握出来なくなりつつある。今年の年末大掃除では、本の目録作りも同時進行させよう。
自室の整頓・清潔度にはあまり拘らないくせに、書店や研究室の書棚には拘りついつい手を加えてしまうとは、一体どういうことなのだろうか。

某珈琲チェーンは、数年前自習禁止願いを掲げたが、久々に来てみるとまた戻りつつあるようで、テキストを広げて自習する学生が増えていた。何だかくつろげない....のはきっと、私が勉強を放って逃避にきているからだろう..否、店の回転が鈍る事を危惧して、ということにしたい。

手紙を書かなくては行けない用事があるので、明日明後日あたりにお手紙カフェに行こう(普通の静かなカフェでしかないのだが、手紙用品が購入出来たり机に筆記用具が設置されていたりと、少しのこだわりが見える。郵便局のそばである立地はさすが。)加えて、なんと便利なことに、カフェの下は古書店なのだ。下で買って上で読め、と言わんばかりの都合である。私はそんな都合に滅法弱い。まあ、明日はそれに便乗して、年末にでも読むべき岩波を仕入れるとしよう。
本日は、日記を書きすぎて何だか気持ち悪い。一気に中身を吐き出した感じで。...のか、甘い珈琲飲料の所為か慣れない眼鏡の所為か。うへぇ。 ...そういえば、直木賞作家の『どすこい』が文庫版が出ていた。今回は普通である。(仮)でも(軽)でも無く。もはや無意味。