夢の魅惑.

昨日妙な夢を見る。その奇異な風景の直接原因にあたる人から今朝メールが来る。丁度良いので返信ついでにそのエピソードを伝えたら、「!?」という反応だけ返ってきた。極当たり前の反応に、その奇異加減や驚きは、夢を見た本人にしか分からないのだなあ、と当たり前の事を思いながら、私は「つまらないお返事」と呆ける。
夢の中では普通に受け入れる事が出来たのに、覚醒してから「妙」と騒ぐ、というおかしさの原因を知りたい。「これは夢だ」(夢は現実では無い)と夢の中に在っても、意外に強く認識出来ているのかもしれない。
今日はその人(私の夢の中で、驚くべき変身を遂げていた人)の演奏を聴きにいく。魅惑*1してくれるそうなので、楽しみだ。

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出かける前に、昨日やり残した(結局N響アワーを観た後、眠りに就いてしまった)清掃の続きを軽くする。とりあえず床で雑魚寝している物品を片付けない限り、塵を掃ける事が出来ない、それが出来なければ不衛生で気持ちが良くないまま、ときている。先は長い。掃除休暇になりそうだ。掃除中は、チャイコとドヴォルザークの弦セレを聴く。少なくともやる気がそそられる曲ではない。
クラブの現役時代、「[指揮者に恵まれなかったら・・・ おーじんじ おーじんじ]*2 って呟きながら、指揮者と部員の前で弦セレ弾いたろか」と、首席奏者陣で云っていた事(冗談と本気が半々)を、不意に思い出す。笑い話として今有る事が幸い。

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今日も古都で和装の人を見かけたので、書店を覗いた際(久々にヴィレッジヴァンガードに入る。休日はさすがに客が多く、一通り店内を眺めて終わる。近頃此処では余り新しい発見が無い。興味をそそる分野の本は大抵見尽くしたか、「欲しい」で止まっている為)最近流行しているスタイルの和装や他に洋装の本等をめくる。ふと思うに、それらは私では無い人が着ているから良いのであって、自分では別に自分で着たいとは思っていない、という事だ。人が着ていて素敵だと感じる事は多くあっても、自分で着ると「なんだ、こんなものか(何か違う)」と気分は台無しに為る事の自覚… 憧れだけで着物を選ぶのではなく、ちゃんと自分に合うもの、尚且つ自分で納得出来る(好みに合う)ものを、早く見極める様になりたい。以上の点も、自分を磨く一歩だというのが持論なのだが。

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あまり長い日記も、どうかと思う。
魅惑は、もう少しお預けのご様子だ。来週まで、期待しながら待つ。自分は、と云えば、近々或る人にマンドリン弟子入りし、復再開する予定。また一緒に弾ける(会える)事を喜んでくれる知人に感涙。
春は常に緊張する。

*1:U.ボッタキアリ 瞑想曲「夢の魅惑」という曲目にちなんだ発言(念の為)。「カヴァレリア・ルスティカーナ」の作曲者として有名なP.マスカーニの弟子であるU.ボッタキアリ作曲「夢の魅惑」は、1941年シエナの作曲コンコルソで一位を獲得した作品で、私も死ぬ前に一度弾きたいマンドリンオーケストラの名曲。普段一般的なオーケストラで演奏される事が無くマイナーで有るのが残念。マンドリンフルオーケストラにピアノが入る。

*2:チャイコの弦楽セレナーデは人材派遣会社のCM挿入曲だった