「どこに行こうというのかね」.

今春に着る服が殆ど無い為に、特に予定が無い今日は、買い物に出かける。現場で「決められずに迷い始めたら長い」悪癖が久々に復活し、一、二時間、買い物スポットを徘徊(冬眠から醒めた熊の如) する。
重ね着ブームの近年は何でも薄手で、トップスの七割くらいは一枚あっただけでは着にくいものなのではないか、と疑う。決して安価ではないものを何枚も買う必要があるという事は即ち、出費が嵩むという事だ。まあしかし、薄いものの組み合わせを変えれば、着回しが効く、という利点は有る。 とりあえず、何ともセコい世の中だ…と叫びながら、私は一回の買い物で一枚しか買えない。あまり安価過ぎるものや仕立てに手間が掛かっていないものを買っても、私の場合後々碌な事が起こらない。自分でちゃんと稼げるようになったら、人がきちんと作ったものを、身につけたい。

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以前図書館から借り出した十枚少々のクラシックCDを返却し、無料を良い事に新たに15枚借り出す。市民の税金で、私は存分に勉強させて戴いている。
という訳で、今日はそのうちの、シュトラウス・ファミリー特集(ウィーンフィルのニューイヤー2002)、ロッシーニ序曲集(アバド指揮・・・ロッシーニといえば、この方の様な)、エルガーのチェロ協奏曲(チェロはS.イッサーリス)を聴く。エルガーは難しい・・・一回鑑賞しただけでは私には良さが分からない。一楽章のメインテーマがバッハのシャコンヌに少し似ているような気がしたので(微妙に多層)、古典的な風合いを好む作曲家なのかもしれない。(と勝手に思う)
大学時代に所属していたマンドリンクラブ*1で彼是二年前、私が首席奏者となって初めて関わり、私の代の指揮者と共に悪戦苦闘した曲が、ウィーンフィルでほぼ毎年、ニューイヤーコンサートのアンコールで演奏される、ヨハン・シュトラウスⅡ「ラデツキー行進曲」なのだ。*2 
当然2002年のCDにも入っていて、聴きながら自分のうら若き時代と初心、数々の思い出、不慣れだった首席の頃の苦悩を思い返している。自分が演奏した際は決して良い演奏にはならず、巷で流れているのが不意に耳に入ると、当時の指揮者共々苦々しい顔つきに為るのだが、この曲は一生、私を私の音楽生活の「初心」に立ち返らせる曲と云えるのだ。・・・という事を、今日CDを聴いて発見する。ひとはこうして年を重ね、いろいろな「地点」を残しながら生きていくのだ、という実感を得る。
音楽の力は凄い。

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明日は、モーツァルト「ジュピター」とホルスト組曲 惑星」を聴く予定。

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来週から始まる講義の一つで扱われる作品の、邦訳くらいには目を通しておかねば(以前から興味が有り、そのついででも有るが)、と思い文庫版を購入するが、字が細かく詰まり過ぎ、しかも分厚く、いっぺんに読む気が失せる。そもそも、外国文学は途端に理解が難しくなり読む速度が落ちるので、個人的にはあまり好きでは無い。・・・それでも専攻しているのだから、頑張らざるを得ないのだが。ロリータ (新潮文庫) ゴスロリの友人(年下限定)が欲しい。

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ロッシーニの「どろぼうかささぎ」は面白い。

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・・・知り合いにはてなで「マンドリン」やら「鈴木静一」を検索されると、いっぺんにこの日記の書き手がばれてしまう・・・。別に疚しい事を書いている訳では無いのだが、恥ずかしい(とりあえず、私の知り合いの自覚が有る方は、コメント等足跡を残していって戴きたい。怯えています)。マン●リン、とか、マンド@ン、とか書くべきかしらん(何だかとても怪しげな楽器の様だ)。本当に何方ですか・・・「鈴木静一」を登録して下さった方は。是非他の作曲家も願・・・(ぇ)

*1:マンドリン用の曲だけでなく、一般的なオーケストラの曲も同様に演奏する。ただし、マンドリンオーケストラで使用する楽器の種類は、はるかにオーケストラより少ない為、マンドリン用に編曲して演奏せざるを得ない、従って本来の編成で演奏した場合よりもヴォリウムと迫力は断然落ちる。それでも、マンドリンオーケストラならではの味があり、面白くは有る。

*2:2005年は、前年戦争や災害が相次いだ為、「ラデツキー行進曲」の演奏は控えられた