whatchagonna do.
覚醒時からブルーな一日で。
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小学校で担任だった先生に会いに行き(なぜか高校に)、「私の事、覚えてますよね?」と肯定を期待して尋ねたら、憮然とした顔で「覚えてません」とうるさそうにあしらわれ、泣いて帰るという夢を見る。
熟睡後きっぱり起床出来るようになりたい。ずるずると薄い意識で睡眠し続けるから、夢ばかり見るのだきっと。
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世間のひと達は皆、泣きたいけど泣かない(心では泣くひとくらいは居ると思うけれど。こころでも泣けないひとも居るだろう)で頑張っている(様に見える)。
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今日の癒し、二本立て>猫好きにはたまらない。私も学内で猫を見かけたら、電話に残していこうかと思い立つ。(あまりにもカメラ機能を使用しない為、何だか電話に申し訳無い)
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講談社現代新書の新装丁を見ていて感じたのだが(新書のうちで最も醜悪なデザインだったが、やっと少しはマシに変わった・・・けれども・・・)、つるつる加工の装丁は古びると恰好がますます悪くなる(元々良さ、味共に感じない)が、素朴な加工の装丁(例えば、昭和初期やそれ以前の本の装丁等)は、多少古びようが黄ばみようが、汚れようが皺になろうが、濡れようが、それなりに味が出てくる。潔癖な現代の日本人は、つるぴかの装丁でないとなかなか手に取る気がしない事は分かる。が、本をオブジェ的に愛でる酔狂にとっては、つるぴかは何とも味気なくむしろ汚く感じられ、好きになれない。尤も、カヴァーなんてどうでも良い、というひとも勿論居るので、改革を起す気もどこかで叫ぶ気も起こらないが。 云っている事が分からない方は是非、つるぴか加工のカヴァーと、素朴な紙のカヴァーに色水をぶっかけ、折り目と皺をつけてみて戴きたい。哀しい程お分かりになるかと思う。
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開講表(シラバス)という名の刷り物(学部生用の様に製本されていず、紙を留めただけのもの)を見て、この時期に講義の履修登録をせねばいけないのだが、将来を充分見据えた上での大学院二年間の計画を立てる事は、とても難しく悩み深い事に気がつく。なかなか履修する講義が決まらないので、来週からの授業はすべて出席してみる。夜型でずるずる過ごしていた私はきっと、来週は過労で倒れるであろう事が予想される。
今日のオリエンテーションに行くだけで疲れたという・・・新学期独特の緊張は疲労をもたらす。もう今日は何も考えたくない。
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多少は意味の有る事を書ける時期と、書かれた意義が微塵も感じられない事を書く時期があり、それはループしているらしいのだが、そろそろ「面白くない」時期に突入の予感がする。突入してしまうと、途端にカウンタの回りが鈍る、当たり前に。斑無く書き物が出来ると良いと、常々思い心掛けてはいるのだが(特に、専門的な話題は出来るだけ避けるか解説を入れる他)、やはりプロでは無いので、無理な時期は無理らしく、申し訳無い。傾向としては、多忙化する程ネタにコシが無くなる。
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そういえばこんな空気だったな春って、と呟きながら、夜桜の元を歩いて帰る。