hutsuka-yoi.

練習に出発せねばいけないのに、悠長に日記を書いている。判断のおかしさを見るに、まだ酔っている。千鳥足。
そして本格的に一日の活動を開始すると、未昇華の体内アルコールが胃を冒し始め、二日酔状態になる。胃以外に異状は認められなかったが(もともと胃腸は強くない所為か)、途轍もなく気分が悪くなる。「気持ち悪い」を友人に向けて連発し、下車駅で二日酔対策用の胃腸薬を購入し、飲用する。人生初の二日酔、人生初の胃腸薬で悟った事は、気分が悪いと脳内は「気分が悪い」という意識しか無くなり、思考能力が「気分が悪い事をいかに回避するか」という事にしか働かない、という事と、胃腸薬の効果は気休めと口内の爽快感のみであるという事だ。・・・良い経験をしたと思うが、暫くは要らない。

                                                              • -

アジカンの曲に「Re:Re:」(アールイーアールイー)という曲があり、電話メェルでたまたまRe:Re:(件名無しの返信の返信)と表示されると、曲を思い出して柔らかい気持ちになる。イントロもメロディーも歌詞も抜群に良く、泣ける曲なのだ。彼らによって名曲が続々産まれる事を、今在る数々の歴史的名曲を愛しながら、期待している。音楽は斯くも良く斯くも愛おしいものなのかしらん。

                                                              • -

「気持ち悪い」で終わった一日の日誌で書く事は、「気持ち悪い」事しか浮かばない。

                                                              • -

「下には死体が・・・」云々は脇に置くとして、桜という木はなぜ斯様に美しいのだろうか。雪が積もったかの様に枝いっぱいに花をつける、しかもその花は上品な形状と色彩、咲く姿も美しければ散る姿も美しい、こんな完璧な美を持つ(しかも媚態まで有る)植物は他にあるだろうか(香る夜の姿も、葉が茂る姿も、葉が無く雪を被った姿も美しい。しかし虫の季節だけは近寄りがたい)。純粋に不思議で仕方が無い。怖いくらいだ。そしてやはり、死体の連想が浮かんで仕舞いになる。
「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」(西行
「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」(紀友則
「散ればこそいとど桜はめでたけれうき世のなにか久しかるべき」(伊勢物語
日本人による、日本人のための詠である。味を噛み締める程に、自分が骨の髄、魂までも日本人である事を自覚する。 西行の詠の「花」とは「(好きな)女性」の事なのではないか、と何の根拠も無い事をいつも邪推してしまう。うららかな日に、美しいひとの膝の上で眠る風景の想像は、猥らだろうか。