Agitato assai.

大学側の都合により、また小さな連休に入る。今日は特に用事を入れていない為、久々に楽器の練習に当てたい。
楽器のレッスン中、「もっとふくよかな音が鳴らないと(駄目だ)」と注意を受ける。この「ふくよか」という単語を耳にするといつも、ボッティチェリの「春」(ラ・プリマヴェーラ)や「ヴィーナスの誕生」に描かれているヴィーナスを思い出す。御師匠が意図すべきところとは明らかに外れた連想だと、最初から勿論分かっている訳だが、「ふくよかな香」等という至極真っ当な用例に行き着くまで、暫く思考にブランクと幾つかの媒介的連想を生じざるを得ない。それを「不謹慎」と取られても大いに結構(むしろ当たり前)だが、音楽では時にその様な具体的で鮮明なイメジも、演奏や創作上(中)の表現に役に立つのでは、と私は信じている。ヴィーナスを想像して出した音は確かに、ふくよかに成り得る事が・・・「有る」と云い切れるかどうかは、個人の性質による事もまた、当たり前か。

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パックが快適な季節、到来・・・

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明日、久々の知人に会う予定が出来た。このひととの接し方について、もう数ヶ月悩んでいるのだが、決して鬱な顔を向けてはいけないのだ、と先日別の知人と話をしていて気が付いた。・・・気がつくには遅過ぎるけれども。笑顔で会う事の大切さと大変さを悟り、それを達成する事を今後の課題に置く。否、明日会う知人に対してだけではない、万人に対して接する時、そのひととの時間を大切にしようと思うならば、まず笑顔でいる事が重要なのかもしれない。泣く為の時間、笑顔を止める為の時間は、別に特別に設ければ良いのかもしれない。 以上は、他人からすれば当たり前かもしれないが、私には当たり前では無く苦心するであろう事なので、明日から頑張る。鬱の打開と先への展望は、そこから始まる予感がする。
smile will bring me happy. smile :-)
暫くひどく疲労するであろうが。

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コオヒイを旨く淹れる為の研究をするべく、何度も挑戦していると(手作業で一杯ずつ淹れるタイプのドリッパー使用)、案の定コオヒイを呑みすぎて胃腸が変な具合になった。しかもいつもの淹れ方が狂ってしまい、スランプ状態に陥る。大切に選び取られ焙煎された良い豆を、本当に旨いコオヒイに、いつかきちんと変身させてやる事が出来れば、と思っている。