浮上せよ.

鬱を打開するには、鬱の原因の追究か、浮上出来る位置に辛うじて居る場合は自分を奮い立たせるか、であろうかと思う。
前者を選択した場合、多大な時間と膨大なエネルギーと強い意思、他者からの理解を必要とする。この方法で打開に成功したならば、根本に近い解決にはなる。が、大抵の場合、そんなものは持ち合わせていない為、鬱は長引くのであり、自分でもぐずぐずした状態を存続してしまいやすい。しかし、自分の為にも家族(親)の為にも最低限の生活は送らなければならないので、何の解決にもならない様な気がするが、後者の一時的手段を選択してみる。鬱ではなくて、単なる怠惰かもしれない、という気もしている。
まず、ヒト科的に正常な時間に活動する事から始める…と意気込んだところで、すぐには無理であり、起床はきっちり昼時になってしまったが。まあ良い。次に、ヒト科が正常に文明を育む事が出来る状態の部屋つくりを目指す。要するに、自室の掃除を徹底的に行ってみた。これはなかなか良い効果があり、陽の光と良い風を自分と部屋に送り込む事は快適であるし、部屋に良い空間が出来ると、何かしらへのやる気が起こる。そしてその空間を保持する事を継続的に努めるだろう。 掃除機をかけ、埃を取っ払い、程好く汗を掻いた後美味い食事を自分で拵える。嗚呼、何と気持ちの良い生活だろうか。少し気分が良くなった様な気がする。
…けれど、何か違和感が残る。「一瞬気持ちが良くなったところで、何が変わるのか」という暗い声がする。やはり、根本的に解決するには時間がかかりそうだ。一度きっちり折り合いをつけておいた方がよさそうだ。

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外出先に居場所が無いならば、せめて自室だけは落ち着ける場所であった方が良い(ひきこもり、になる事は良くないが)。

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昨日今日と、すっぴんで出掛けた(といっても地元を徘徊していただけだが)。勿論、礼儀に反すると分かっていながら、である。普段では有り得ないのだが(特に上洛時)、飾り立てる気がどうしても起きなかったので。化粧を施す事で気分が上昇する、脳が活性化する等良い効果は有るのだろうが、そんな事はどうでも良くて、ほんのたまには楽にしていたかった。…怠惰、とはこの事か。

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ひとより上に行こうとする音楽ではなく、美しい音楽を目指したい。音の違いは奏でるひとによって違う、また、「上手い」という相対評価基準も聴くひとの好みによって違う。そんな不安定な柱ではなくて、自分なりの音で美しく(美しいと感じられる)音楽を作る事が出来れば、と思う。その道はとても険しく終着点等は無いが、道々で得られるものは多いだろう。
そんな事を、僕は、涙の出ない目で泣いた。―視力障害の天才ヴァイオリニストがつかんだ人生の光を読み、今日掴んだ。
ほぼ毎日楽器を触り、時にレッスンや合奏で他人に自分の音を聴いて貰ったり、忠言を戴くが、どう弾くべきか分かってもどうしても出来ない時、また、弾く事は出来るが何の味も見出せない時等、日々葛藤する。そんな時、自分や他のひとにとって音楽や音、楽器とは何なのか、と考える。
「美しい」という評価もまた、相対評価でしかないが、「上手さ」とは違って「美しさ」は、そう感じたひとに小さな「仕合せ」かそれに近いプラス属性の何かを与える事が出来る。いつか、ひとりでも良いから「仕合せ」に、そして自らも「仕合せ」に出来る音楽を奏でたい。

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沈みっぱなしの私に、友人が一冊本を郵便で送ってくれた。「自分を見つめるヒントになった本です」との事で、ずばりタイトルは「自信」。そうそう、自信が無いのだ、私には。友人でさえ付き合うのが鬱陶しく感じる事がある、という事は事実であるが、気にかけてくれる友人がいるから何とかもっている、という事も又事実で、私は多くのひとから生かされているらしい。…と分かっていながらも、やはり生きにくい事は確かで、生きるその方法も意義も未だ分からないでいる。情けないことに。もう少し必死に生き急げば良いのだろうか。

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Just A Girl久々にBonnie Pinkを聴く。しなやかで良い声。
I'm just a girl.

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「また会おう」と云っていたけれど、もう一生会えない気がする。それだけの縁だったのだろうか。もう会えなくとも、私はあの曲を聴きながら、いつだって君を思い出すよ、多分一生。