認知.

新しく始まった講義は、珍しく朝から夕まできっちりとある様だ。
文学専攻の者が多い所為か、言語理論の講義は突っ伏している学生が多い。元気なのは、専門分野なので張り切っている私だけだ。
人間とコミュニケーション、ネットワーク、心のはたらきに焦点を当てた言語論は、自分の中で起こっている現象を見直し関連づける事が出来る為、理解し易く便利である。自分の事は自分でよく分かっているつもりだが、心や情緒、精神同様、どうやって普段言葉を話し理解しているのか、実は自分で自分を分かっていない部分も多い。これを当たり前にしてしまって良いものか、分からないが。

      • -

前日に出た課題の為の資料を、授業後図書館に狩りに行く。電車賃を浮かせる為に(贅沢は敵だ、という言葉が近頃の私のモットーなのである)何駅か歩く。といっても、地下鉄の駅と駅の距離等は知れている。何の事はない。(と思っている者は私だけなのか、健脚ぶりを半ば呆れつつ褒められた)
道の途中で、野球の実況中継を空に向かって呟いている人を見かける。声はそっくりだった。声がそっくり、という事は、声帯が某アナウンサーと類似している、という事だったか。帰り道では帰り道で、空腹に空腹で食べ物屋ばかりが目につく。脚の関節ががくがくしていた、これでさすがに「疲れているのだな」と認識した。