シャンデリア.

予ねてより楽しみにしていた、演奏会に出掛ける。地方屈指のホールの天井からは、大きなシャンデリアが幾つかさがっていた。
幼い頃から、部屋や建物内のシャンデリア観察が好きである。付いている飾りがフェイクか本物かはどうでも良く(見分ける事が出来ない)、ただその豪華か上品か繊細かの装飾を眺めるだけだが。和風な佇まいの中のそれも、洋風に溶け込んでいるそれも、両方良い。ランプ(シェード付きもしくは裸)というシンプルな灯も好きだから、そもそも、闇の気配の中で灯る橙色が好きなのかもしれない。

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知人や先輩方が活躍している姿を見る事が出来、嬉しく思う(差し入れを3個抱えて、楽屋口で出待ちをした)。毎年現役達に熱心なアドヴァイスを下さっていた方達は、その言葉をご自分でも実践しておられる様子でやはりいつ拝聴してもお上手、素敵だった。ソリストも相変わらず、むしろ落ち着きっぷりの点で成長されていた。
楽器の種類で管弦楽オーケストラには引けを取るといえども、音色の使い分け、多彩な表情、音楽への深い理解により、可能な限りの高みにまで曲を上昇させる事に成功していた。初演のものも含め、知らない曲が多いにも関わらず、魂を奪われてしまった。(師匠…笑顔も真剣な表情も、ひょうきんな振り美麗な振りも、すべてお素敵…相変わらずの偉人で巨匠っぷりに心の中で大喝采。長生きしていただきたい。煙草は控えめに…)
ピアノはベーゼンドルファー(Bösendorfer)、スタインウェイよりもこっくりとした深みのある音だと感じた。

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携帯電話の変更手続きに、父と店に行く。家族の都合をしっかり店員に伝えながら妥当な料金プランを組む、判子をつきクレジットカードを差し出す、店員まで知らない会社の動向について雑談する父は、立派に見えた。家庭の事はほぼ母に任せっぱなしだが、二十数年家庭を支え続けてきた父には、尊敬する。何十年間も家族を背負い、朝早くから遅くまで会社で働くのは、どれだけ大変な事なのか、私は全く知らない。

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謝らなくていいから、今後改善出来るように頑張って欲しい、と過去に相手に思っていたのは私なのに、今はひと人に謝ってばかりいる。せめて「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と云いたい。 本当の謝罪の気持ちや謝罪の必要性を除いて、8割くらいの謝罪は「もういいよ。(仕方ない)」という相手からの返事を求めている。
肝心なところ、楽をしたい自分が見える時は、「ごめんなさい」という言葉で相手に甘えてはいけない。甘えではなく、不条理な事態の収拾用に、無感情の「ごめんなさい」連発は取っておく。