雀を食べる.

お稲荷さんに散歩に行く。紅葉はまだなのか、もしくは紅葉する樹がもともと植わっていないのか、山は変わらず緑だった。大きな狐と重なる何百本の鳥居(とても妙な心地になる。異常に思える程だ)の中を暫く歩いた。
棲みついているらしい猫が厳かな身のこなしで、祠の裏に消えていった。実は狐の化身では…と疑った。
雀を食べた。稲、五穀豊穣の神である雀をこらしめる(来らしめる)、という意図で、名物になっているそうだ。概ね骨でぽりぽりと齧る。身体と思われる部分はレバーの様な味がした。頭蓋骨の髄の部分が美味しい。グロテスクな格好を気にしなければ、良いおやつになる。
その後、利き酒が出来る酒屋を訪れる。三種類のお酒を、数十種類の地酒から選んで、お猪口一杯ずついただく。呑みやすそうな大吟醸、寝かせた古酒、非加熱のひやおろしを選んだ。極上…

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見知らぬ土地を何本か電車を乗り継ぐ小旅行は、良い現実逃避になる。最寄り駅に着くのもゆっくりで、現実に戻る心積りもゆっくり出来る。

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以前好きだった人を見掛けた。会わなくなってからも、何も得ていない様な顔で座っていた。少しでも楽に、仕合せになって欲しい、と云ったのに、今何を思って大切にして過ごしているのだろうか、とどうしても気になってしまう。以前抱いていた特別な感情を、私はもう持ち得ない事ははっきりと分かっているが、手を伸ばそうと思えばもう一度近づいて、もしかすると何か助けてあげられるかもしれない、と思うと、忘れる事が出来ない。(為にはならないだろうから、そうしないが)
生きていくことは、何かを失っていく事でもあるのだ(生まれた瞬間から何かを失い続けて生きている。失う、というより、取捨選択、と云った方が正確だろうか)、と知らなければ生きにくい。まだ彼は、その事をうまく受け入れられていないのではないか、と顔を見て感じた。生き抜くという事は、必ずしもフェアではない。時に汚くずるいものなのだ。文豪や哲学家で自殺した人が多いのは、あまりに純粋、完璧を求めすぎて、世を受け入れる事が終に出来なかったからかもしれない。フェアにはなりえない世界で、それでも生きていくか、絶対的なフェアを求めて奮闘し、常に悲観的に存在するか、難しい問題である。