潤む硝子.

これから12月中頃までの毎週、何かしら発表を担当しているので、資料狩りに図書館に行く。懐が寒い為、30分少々かけて私鉄3駅分、人通りの激しくない通りを選び、散歩をしている気分で歩いた。近頃何らかの理由で熟睡出来ない所為か、いくら寝ても眠い。
重い画集と資料数冊を持って、館内をうろついた所為で、作業後出てきた時にはふらふらになっていた。ココア500mlを流し込むと元気になり、調子に乗って散歩と寄り道を再開すると、帰宅直前で再び意識を失いかけた。
古都でも古い洋風の建物が連なる辺りを歩く。取り壊されずにそのままの形で残されている学校や会社、製作所の、古い硝子が細い桟の中に嵌め込まれている窓等を見ていると、「懐かしい」という気分をずっと濃くした様な心地がやってくる。いつの間にか消えてしまってもう戻らないであろう、幼い頃の記憶か、もしかすると遺伝子か前世(なんかがあるとしたら)の記憶なのかもしれない。それくらい、得体の知れない強烈な感覚なのである。
或いは、誰しもそんな心地になるのかもしれない。*1

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ボージョレヌーボー解禁日である。ボージョレなのか、ボジョレーなのか、いまいちはっきりしない。公の表記はボージョレとなっている為か、ラヂヲのニュース番組のキャスターはボージョレと発音していた。結局どれでも可、の様な書き方を、Wikipediaはしている。去年まではボジョレーという呼び方が一般的だった様に思う。今年になって、ボージョレが正しいのでは、と誰かが改めたのかもしれない。
去年の正月に、親戚が持ってきた安価らしいボジョレーを一本、一人で戴いた。新酒だけあり、あっさりとして酸味があり、深みがない代わりに軽くて呑みやすかったのを記憶している。

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コメント返し>>f様:いつも有難うございます、そしてコメント有難うございます!嬉しいです。(また来てやって下さい)古い学校や古い会社の窓硝子は、壁や建物の造り以上に私はそんな感覚を得ます。哀しく寂しい感じ、そうなのですよ。という事は、感じるのは私だけじゃないのですね。どうしてこんな気持ちになるのか、全く見当がつかないくらい得体の知れない感覚ですが、何となく失くしたくない感覚でもあるような…。

*1:そうだ、という方は是非、教えて下さい。