往くもの来るもの.

掃除機をかけ可能な範囲で徹底的に埃を取り、ワイルドな風に窓を跨いで腰掛け窓を拭き、紙類の整理をした。こんな寒い時期にどうして大掃除なんてするのか、と思うが、新しい年を清潔な場所で迎える事の清清しさを思えば、大晦日の掃除はどうしても抜かせない。寒い寒いと云いながら、窓を久しぶりに開けた。幸い、今日は気温が高めで、然程の苦心はなかった。
年越し蕎麦を家族で食べた。お惣菜コーナーで買ってきたものだが、大きな海老の天ぷらとかき揚げを乗せて、七味唐辛子をかける。父曰く、天ぷらを乗せると、出汁に油が出て美味しさが増すのだそうだ。
私が無精にも今頃年賀状を印刷し宛名等を書き込んでいる間に、父は蕎麦を母はおせち料理の準備をしていた。いかに自分がお子様であるか、が身に沁みる。自分の事は手早く済ませて人の手伝いをする、くらいの手早さが、来年の今頃は身についていると良い、と思う。今年の年賀状作成速度は最速であった。「筆まめ」という優良なソフトに助けられている。プリントゴッコ時代が懐かしい。電球の眩しさ(と存在そのもの…なぜ電球なんかが必要なのか毎回首を傾げていた)が忘れられない。
今年もベートーヴェン「第九」を聴いた。アシュケナージの指揮、合唱は二期会の、12月中頃に演奏された模様がテレヴィで放映されていた。たとえ絶望の底にいても、どんな時代の人をも感動させるこれだけ素晴しい曲を創り上げる事が出来るのだ、という事を毎回思い出す。頑張ろう、と思える。いつか、生演奏を聴いてみたい。
来年の目標は、自分の思う通りの大人になってみる事、にしたい。

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往く年来る年も、家族と過ごせる幸せが、私にはある。来年、数年先、数十年先、どうなっているか分からないが、此処に再び戻り家族と一つの炬燵で暖まる事が出来る事を、今は願っている。