本が無くとも.

昨夜から『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)』を読んでいる。内容が入り組んでいて読む速度があがらず、現代小説なら一冊半くらい読めそうな時間をたかが100頁少々の短編にかけている。この作家は、金髪で碧眼、芸術にはあまり興味を持たず陽気な人物を、美少年/美少女としてプロトタイプ的に登場させている。そして相対する登場人物(=主人公)として、黒髪で褐色の肌、内気で芸術に耽溺する人物を設定している。作家自身黒髪で柔和な顔立ちであるので、自分の容貌や気性にコンプレックスを抱いているのだ……そんな超短絡的な結論づけを行って良いものか、悩む。
悩みながらも本から離れる事が出来ず、そのせいで夜更かしし寝坊した。電車に飛び乗ったが、本に集中するあまり途中の乗り換えに失敗し、セミナー開始時刻ぎりぎりに着く羽目になった。
トーマス・マンの作品は、作中で芸術論と精神論が占める割合が多く、消化するのに時間がかかる。或いは消化し切れず流せざるを得ない箇所もある。上下巻に渡る程の長編『魔の山〈上〉 (岩波文庫)』は読了までに一体どれくらい時間と労力が掛かるのか知らない。
哲学書やこういった込入った内容の書物を読み進め、理解に努めようとすると、徐々に論理的思考や理解力、集中力が身についていく様だと、以前好きだった人が云っていた(当時彼はプラトンかカントを読みふけっていた様に記憶している)。長期的に試した事はないので、実感が湧かない。試す気さえ起こらない、否起こりえない。読書に労力を費やす作業は、今の生活では無茶なのだ。本が無いと生きていけない、とは云えない。

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気に入りの本にたまたま書店で出会え、なおかつ納得できる選択をして購入出来た日は気持ちが良い。 『東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)』『向田邦子の恋文 (新潮文庫)』 買わなかったが、『ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)』『生物から見た世界 (岩波文庫)』に惹かれた。特に前者は、この国に対する視野を広げてくれそうで、興味深い。

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私も使っている手帳、MOLESKINEの展示会に出くわしたので、観てみた。アーティストや批評家、子どもの手帳(という括りをゆうに超えているが)が数十冊置いてある。人が見れば「何が楽しくてここまで凝る」と思うかもしれないが、皆それぞれ好きに使っている、そしてこの手帳を愛している。かく云う私も好きに使っている。
ゴム手袋をはめて閲覧すべし、との事で、後々手袋から抜き去った手は白い粉だらけになっており、暫くゴム臭かった。縁日で釣った、色とりどりのヨーヨーを思い出した。
昔から芸術家が思いつき・創作ノートとしてMOLESKINE(輸入雑貨を扱う店でよく見かける、人工革製のさらっとした黒いカヴァアが特徴的な手帳。サイズや中身のヴァリエーションが豊富)を活用し、今も写真家やイラストレーター、デザイナー達がめいめい、写真や切り抜き、創作メモ、落書き、または立派な作品の記録帳として活用する事で、手帳と使ってきた人達の伝統を引き継いでいる事を感じさせる展示内容だった。 クリエイティブ且つ伝統的、というスタンスは愛され易い。適度に奔放、適度に束縛、が人にとって心地良い加減なのかもしれない。

写真: はちきれそうな私の手帳/こだわり自作のカレンダーを二年分、空いたスペースは日々の書き込みに/展示会のDM

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本が無いと生きていけない、とは云わない。本に夢中になり過ぎて電車を降り損ねたり、事故に遭ったり、約束をすっぽかす事は、本が読めない事より困る。…尤も、比較する対象を間違っているかもしれないが。
晴読雨読で晴耕雨耕、退屈知らずの日々を今のところおくっている。