隣人愛.

人の話を聞かない人は嫌い。反省と諦めの区別がつかなくなっている自分は嫌い。ありがとう、ごめんなさい、を心底きちんと云う人は好き。何かに感動している自分は好き(まだちゃんといきてる、とおもうから)。

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ku:nel』最新号の、シニアサッカーチームの記事に感動した。自分の真ん中に筋を通して生きているいる人も好き。

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心底感動している自分は、最も正直だと思う。(ただし、真実「心底感動している」のかどうか見誤っている場合は、この限りではないし、その見誤っている時点で正直である事を止めている。)
「感動した何か」「自分の何かがひっかかったもの」は、自分の内面、無意識を映す鏡のひとつなのだと思う。その鏡に映った自分が良い奴で安心する時も、悪い奴で絶望する時もある。自分を省みる事は、果たして快楽行為なのか苦痛なのか、分からない。 完璧に捉える事は全く不可能な他人を愛す、という事はどういう事か。自分の事だけを考えていれば楽には違いない、けれど、他人に視線を向けて愛するなり憎むなり理解し役に立とうとするなりする事によっても生きて行きたいと思う事、それが「自分を愛するように、隣人を愛する事」なのではと考える。本当に他人を見る事は簡単そうで難しい、しかしきっかけは難しそうで簡単である。