現実とパロディ、滑稽さ.

ブルグミュラーといえば、「スティリアの女」という曲に、花丸を貰った。何かの挿入曲でたまに使われている。こういう練習曲は、ピアノを弾く人間にとって、懐かしさを喚起する存在のひとつである。エリック・サティの「官僚的なソナチネ*1は、そんな懐かしさから編み出されたのではないか、と勝手に思って聴いている。(実際は知らない。古典的な練習曲なんて退屈、と思っていたのかもしれないし、パロディにし甲斐を感じたのかもしれないし、単純に大好きだったのかもしれない。ちなみに、私は好きな上に、一番最初に弾いたソナチネなので懐かしい。840回繰り返す「ヴェクサシオン」という曲や数々の意味不明な曲名を見るに、この作曲家の仕事は冗談か本気なのか分からない。「冗談に決まっている」と、世間の物知り顔に対して鼻で笑いそうな気もするし、大いに本気である気もする。)

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半分幹事の飲み会、終了す。先生からお慈悲を頂戴するはずの段取りが、Friday氏のお気遣いのおかげで吹き飛んだ。よって、じゃんじゃか頼まれて(注文ハ幹事ヲ通セ、新入生ガ多イノデギリギリデヤッテマス、トイッタダロウニ)足が出た分を後日、研究室の皆に頭を下げて回収しなければならず、返ってくる見込みが薄い一万円を立て替えた。今月飢えたらば皆に助けてもらおう。
音楽について熱く語ると喜ばれた事と、就職活動話をすると「まあ飲めや」と先生にお酒を注いでいただけた事が嬉しかった。しかし役目で胃が緊張して、味覚が麻痺し食欲が湧いてこなかった。
こういう役目は、感謝される目的でやるのでも、実際感謝される訳でもないので、自らの段取り能力を省みる以外は、思い悩んでも仕方が無い。

*1:ソナチネアルバム第一巻 クレメンティ作曲「ソナチネハ長調Op.36の1」のパロディ。難しそう。