ピンク色の縄跳びで.

郵便やさんを待っていると幼少時代に歌った歌を思い出した。 ゆうびんやさん おはようさん はがきがじゅうまいおちました ひろってあげましょ いちまいにまいさんまいよんまいごまいろくまいしちまいはちまいきゅうまいじゅうまい ありがとさん。縄跳びの歌である。

結局郵便やさんは来なかった。

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ひとを先輩(male)に盗られた、もとい呑みらしく、メェルの返事が釣れない。折角土曜なのに、と拗ね、返信せずに電話を投げる。
このひととどうして行きたいんだろう、そろそろ考えねばならない、否、考えたい時期に来ている、と勝手に思っている。が、なかなかどうして思考が進まない。人は難儀な方向を選び進みたがるもの、と云って間違いではない、と先日Mr.Fridayがおっしゃっていた。悲劇性に甘んじたがる自分は確かに存在する。
蒸し暑い。
ことことと、雨がトタンを叩く。音を聴きながら、昼間の怠惰な眠りに落ちた。

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幼馴染と縄跳びをした記憶を掘り起こす。「ゆうびんやさん」の遊び方は、一人の縄の中へもう一人が入る跳び方だったか、何本か繋げた縄を二人で回す中へ複数人数が入って跳ぶのか、思い出せない。
幼馴染は三人いて、そのうちの二人の男の子とは、ごく幼い頃から小学校に入るまで、よく遊んだ。中学高校時代でこそ「男の子はうるさくて子どもだから、近づきたくない」と意識的に避けていたものの(自分も子どもだったくせに)、基本的に男性に接する方が女性よりも気軽で単純に楽しい、と時時感じるのは、「三つ子の魂」の所為なのかしらん、と近頃思う。近しい存在の瑣末事項に手を焼くよりも、殆ど別物に真新しく接し大股で踏み込んでいく方が楽で面白い事には違いない。
すべてをこのほんの小さな脳で分かろうとするから、分かるはずだ何とか出来るはずだと信じるから、気力がいるし苦労もするのだろう。そうは云っても、手抜きがうまく出来ないし、また、完璧に事をこなす事も出来ない。
やーい、意気地なし。