素晴しき金曜の宵、ひとりで.

研究室の同期が、雑誌を睨みながら自分の手相を見ていた。ちょっと見てみてよ、と云うから近づくと、手の平に走っているはずの「感情線」とやらがどの筋か分からないとの事、「生命線」の近くの筋を指して「これぢゃないの」と云ってみる。 ついでに私の「感情線」も見てもらったが、「センスがある」という種類に区分されるらしく、二人して「ふぅん(そんなもんかね)」と感嘆の薄い声を漏らす。

                      • -

Mr.Fridayが話かけて下さり、論文作業の進み具合と調子、専門分野について話を聞いて下さり、また後からやってきた少しご年配の先生に「大丈夫そうだね」と云われ、すっかり気を良くしてしまった。

            • -

持ち帰り不可、学内で利用せよ、と決められた論文と放課後戦った。その後同期と連れ立って帰る事にし、途中で別れて電車に乗ったが、何とはなしにそのまま家に帰りたくなくなった。家には家の現実が待っていて、「それ用」の気分には未だ切り替えたくない、という気持ちだったのか、何なのかよく分からない。
ともかく未だ帰らない事にして、途中下車した。お腹が空き始めたのでカフェに寄り、軽食を口にしながら英文と戦う。
寄ったカフェには、ほぼ一年ぶりに行った事になる。以前は昼間に行った所為か、人特にカップルが多く、また店員さんも切羽詰った様子で、落ち着きの無い店だった。が、夜、特に金曜の夜ともなるとさすがに空いていて風通しが良く、店内のど真ん中に本棚が幾つか持って来られていて、好みの雰囲気に変わっていた。
目の前に植物が置かれていると、手帖に鉛筆で写生をしたくなる。が、運悪く手帖も鉛筆も持ち合わせていず、断念する。換わりに、浮かんできた文章を電話のメモ帖に打ち込みながら、英文に専念した。
大きな窓辺の席が取れた。窓は予め開け放してあり、心地よい風を受けながら、宵の古都の風景と修学旅行生の隊列を眺める事が出来、大層快適だった。
食べ終えた軽食の皿が戻っていき、暫く水で、口淋しさを誤魔化していた。が、風と音楽と風景があまりにも心地良く、「出来心」を起こさせた。気づくと「メニューをもう一度見せて下さい」という科白が口から出ており、結局「好物」を追加するに至る。ジンにトニックを、ライムを絞って下さい。
今まで、ひとりで外でお酒を飲むという行いはした事が無かった。金曜の夜くらい良いよね、という変な云い訳により、飲む事にしてしまった。金曜の夜はカップルと団体はカフェには来ずに、別の場所に行くらしい(私はそもそもひととは滅多にカフェに行かない。殆どの男性には「元が取れない」場所だろうから)。連れの居ない又は作業を抱えていて数時間しか暇のない金曜の夜に、自分の場所があれば嬉しい。この店が自分の居場所のひとつだと嬉しい。
この匂い、この光、この色、この音、この「こどくかん」、このいとしいものが永遠なら良い、とさえ思った。(「泣きたくなるような夕べ このにおいこのひかりこのいろこのこどくかんいとしいもの永遠」とメモ帖に書かれている。後々読み返すと少し恥ずかしい。が、日記に書くくらいは良いだろう、どうせここでは予め恥ずかしい事ばかり連ねてきている)
この匂い、というのは、飲んでいて帰宅が遅くなった時はきまって街で嗅ぐ、特定の匂いなのだ。何の匂いか、よく分からない。お酒を取り込んだ自分の匂いなのかもしれないし、お酒を出す割烹から漏れる匂いなのかもしれない。この匂いを嗅ぐと必ず、「嗚呼、遅くなっちゃった。家族に心配をかけないように、早く電話をかけなくっちゃ」という罪悪感を抱く事になる。よって、この匂いを店で嗅いだ時、「こんなところでこんな時間までひとりで飲んでるなんて、不良」とやはり後ろめたくなった。が、久々に今日ぐらいは良い、頑張ったし良い、という事にして、門限ぎりぎりの時間までゆっくりと、グラスを傾けながらアルファベットの羅列に目を走らせていた。
気に入りのウィルキンソン製トニックを一瓶注いで薄め、酔わない様に注意する。女性が外でひとり飲む時、酔わないようにする事が規則かもしれない。寄っても誰も面倒を見てくれない上に、酔い過ぎると気遣いと節操が減退するからである。慣れた大人なら大丈夫かもしれない。
時間になった時丁度グラスも瓶も空いたので、尚の事嬉しくなった。

                  • -

近づけば手は届く、そこにある、と思うから、勝手な事が云えるし思えるし批判的になる事が出来る。しかし、本当に手が届かなくなった時の事を、私は未だ知らない。
家族又は、ひとについて、横文字とひび割れつつあつテーブルを見ながら、少し考えていた。
放っておいてくれる時も近づいてきてくれる時も、受けとめてくれる時も、今周りにいてくれる人達は、私にとって丁度良い加減を心得ているかの如く、そつが無い。彼ら彼女ら以上を望む事は至上の贅沢である。そういう結論づけを、一旦行ってみた。

          • -

もしひとり暮らしを命じられたらば、気に入りのテーブルと座り心地の良い椅子さえあれば、他の家具は要らない、と今は思っている。