東方のそら.

ミラネージ(という名の作曲家による曲)にうなされる。うなされる とはこんな漢字であった。:される
「ミラネーゼでも検索してみてください」否、要らないです。

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東条英機の孫にあたる方が新聞コラム欄に載っていた。なかなか貴重な人選だ。切り抜いておく。あの神社にいるという事は、神になる等とんでもなく、他の戦没者をも祀る場所といえど、実質上国民の恨みと罪悪感の的なのだから、死刑にされてからもずっと磔か曝し首にされているようなものだ(そうしたい人もいる事だろう)。神として祀るのがいけない、というなら、それでも分祀とか訳の分からない体裁を取らずに、さっさと家庭に返し一人の人間に戻してやって欲しい。
戦争は人を屈折させるのだ、という事が、一連の問題でよく分かった。理屈は通用しないのだ、特に若造の理屈では戦争体験者の気持ちを落ち着かせる事はきっと出来ない。人の感情とは、それ程理屈通りにはいかない。それ位は容易に理解出来る。人の感情(愛や罪悪感)と死が絡む事は、どうしたって理屈では動かし難い。

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誰だか偉そうな人が夢に出てきて、「アイスコーヒーとカフェ・ラテカプチーノはどう違うの」と云うから説明すると、「冷たいコーヒーと冷たいカフェ・ラテって、まずいよねえ」と偉そうに文句を云うので、「人それぞれの好みだと思います!」とぴしゃりと云ってやったらば、気分爽快に目覚める事が出来た。
そういえば、冷たいミルク入りコーヒーはあまり飲まない。

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前日午後八時に就寝後深夜一時に起き出し、今日午後五時までに提出のレポートを仕上げる。資料を読み付箋を貼るという作業を外が明るくなるまで、七時くらいから書き始め、十一時に書き終える。睡眠を一応摂ったにも関わらず、徹夜同然に眠く、電車の隣の席の人の肩に一瞬触れるという迷惑行為をし、ふらつきながらもやっと大学に辿りつく。
Mr.Fridayに「あれ--さん、単位まだ要るの?」と訊かれ、「要ります!お願いします!」と懇願してしまう。格好悪い。この先生に情けはかけられたくないのに。
漠然としているテーマ、それはつまり開けてみれば大きな論旨展開になるはず、であるのに、2000字程度でまとめる事なんて出来ようはずがない。原文を引用せよ、というなら尚更無理である。舐められているのか。遠慮しても4000字程に出来上がったものから切り詰めて3000字、もう少し頑張り引用を割愛して2300字にまで削る、という作業で小一時間取られた。

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調べ物があり音楽書を立ち読みしたい、というひとと、珍しく書店に行く。専門書は殆ど置いていない書店で、案の定お目当ての本は見つからず、店内を放浪するという成行きになった。京都の坪庭の写真集をめくる。いいなあと思うけど、手入れと立派な庭に見合ったしつらえが要るよね、という結論に至る。この花好き、この花の色嫌い、と云って頁を捲る手を困らせた。

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空ばかり見ていた』が短篇集で助かった。今長編は読んでいられぬ。しかも、短篇といえど実はところどころ繋がっているのが嬉しい。結局のところ、登場人物達は、そらばかり見ている。
コーヒーチェーンでピザを齧りながら(正確には一枚完全に齧り終わった後に・・・汚れるといけないので)読んだ。向かいの席では電話の中の人物と、明日の夕飯はどの店で食べよう、という相談が進んでいた。こうやって否応無しに耳に入ってくる事も、立ち聞き、というのだろうか。

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帰途で猫に挨拶をすると、不安げだがかわいい声で返ってきた。つい嬉しくなって追い駆けていると、自動車の下に隠れて行ってしまった。調子に乗ってはいけない。 いつも見かける野良の中で一匹だけ愛想が良いこの猫さんは、ちゃんと毎回返事をしてくれる。
挨拶をして追い駆けているところを、通りすがりの大人に見られてしまった。まあ子どもだと思ってくれ。