図書館の虫.

色々なジャンルを聴く事が出来る便利なNHK-FMで、クラシック番組を聴きながら、うとうとし出すと気がつけば夕方になっていた。贅沢過ぎる生活だが、これでは本能による作業しか出来ていない。文化的生活はいつも、睡魔によって持ち去られる。支配力の強い睡魔は、どうも母方からの遺伝らしく、すぐ眠っちゃう、というのが母の口癖なのである。
文化的生活をしない事が、日々の自己嫌悪原因の大半を占める。つまりそれは、食事と睡眠で終わる日の事を云う。

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先日の日記についたコメントのレスポンスを書いている途中で、突如、高校一年生の時に気に入って読んでいた作家の名前を、「情景」付きで思い出した。
当時どういう繋がりか忘れてしまったが、種田山頭火の句集と内海隆一郎を読んでいて、当時の学級担当で現代国語教師に、掃除の時間箒を握りながら、最近読んでいるのですよ、と話していたのだった。なぜまた、内海隆一郎は読んだ事がないな、という返答があった記憶が薄く残っている。自由律俳句の、なだらかな美しさと表現が自由で豊かなところが、当時とても気に入っていた。短歌の流行が始まるずっと前の事だったと思う。母校は高村光太郎を話題や試験に持ち出す教師がなぜか多く、また、三年の古典の授業では必ず一年かけて源氏物語を読んでいく、という「決まり事」があった。日本の文学に限ってだが、現代だけでなくて他の時代の作品もまた良い、そういうものを背伸びしてどんどん読むように、という雰囲気は、今の自分の読書生活に大いに影響している、という事につい先程気がついた。一方西洋哲学や外国文学の全集もきっちり揃ってはいたのに、手をつけようとしなかった高校生の自分に、暇なくせに読まずにいるのは勿体無いなあ、と今は云いたい。思えば、国語で外国文学の翻訳ものを読ませるという事は、極めて少ないように思う。教科書には載っていたものの、教師によって時間の関係で割愛される事もあり、文学史の知識も皆無だった。幾らなんでも勿体無い、とやはり今思う。ランボーの詩についての授業は印象に残っている。何人かの翻訳家による訳を見比べて、という作業をした。和語と漢語で印象が変わる、どちらがこの詩に相応しいのだろう、という観点で授業は進んでいった。そこで堀口大學という人物を初めて知ったのだが、氏の訳が気に入ったのだったか気に食わなかったのだったか、忘れてしまった。恐らくどちらかだったと思う。
大学の図書は高校の図書館よりずっと狭く、初めて入った際は、古くて魅力を感じない背ばかり並んでいた小学校の小さな図書室を思い出した。高校の図書館の優れていた点はまず書物の豊富さと居心地の良いスペースにあったのだが、一人の女子高生には、本好きな人の会話や本選びを観察出来る事が居心地良く感じていたのかもしれない。これも、今思えば、ではあるが。

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やっと買うべきスケジュール帖の書式のイメージが湧いてきた。一応時間単位で書き込みが出来るタイプだが、それ程大袈裟ではないものにしておくのが妥当だろう。このままだとまず大手民間企業には就職しないから、大々的な手帖は必要ない。事務職としてルーティンワークをこなす毎日だとすると、大きな手帖の欄が余ってしまって哀しくなるだろうし、アルバイトの場合はシフト制の予定を書き込むぐらいだろう。気持ちの良い大きさと佇まいで無地の部分に何でも書き込める手帖が好ましい。
カポーティ「太陽」と、観ておきたい映画がある。来月は「薬指の標本」も始まるし、又もう一つの行き着けミニシアターの上映作品もチェックせねば、と思っている(目星を付けたところで、結局観に行く事が出来るのは、金銭の都合により一ヶ月に二本が限界であるが)。論文の中間発表が終わったら観に行こう。思い立った時に即行動に移したいのは、調髪と映画なのだ。嬉しい事に行き易い土地に巡回してきている、やまだないと&南Q太の展示会と、美術館の特別展示会にも何軒か行きたい。学生料金は、考えてみれば今年限りになる。

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自分に顔が似ている、という事に勝手にしていた猫の写真をひとに見せたところ、似ている、という意見をいただいた。相変わらず猫さんの手足はかわいい。

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ノートPCの、ごごごごっずるずるっびいいいーーぐしゅるる・・・という音が気になる。追い込みの時に壊れ易い、というから、バックアップはまめに取っておく様にしよう。購入して四年になるから、そろそろ不調が起こっても可笑しくないだろう。

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現実逃避場所がネット内、という事になると、自分の世界=ネット世界、という誤解を誤解だと思わなくなる危険性に、恐れを抱く日々を過ごす。云い換えるならば、ネットに上がっている人達=世界人類、という誤解である。このまま行くと、画面上の事ではなくて、現実世界と現実の人間の方に違和感を抱くようになってしまう気がする。やはり外に出て、人に会いに行って、そこでものを考えよう。今はなかなか叶わないが。

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今月は本格的に学業に必要な書籍にお金を使うので、趣味の本やその他にはお金が使えない。食費も切り詰めなければ。折角格安で欲しい古本を見つけたのに、また見送りである。まあ読む時間を作る余裕はないから買っても仕方ないのだが。
どうして全部が全部良書とは限らない研究書や質が悪い洋書にまで、あれ程の高額を支払わねばならないのか、すこぶる不満である。採算を取る為だろう、それは理解出来るが愚痴は尽きない。
本によっては15%オフ、1500円以上送料無料、コンビニ決済、Amazonは貧乏引きこもり学生の一応の味方であります。