玉葱と桜海老のかき揚げ.

お世話した人々をさっさと送り出し、チェックアウト作業をして帰宅してきた。あら、帰るの、という視線を背中で浴びたが、論文の発表が近いだけに一日練習にはどうしても参加出来ない。しかし帰宅後即行作業を、と思っていたが、昨日とその前の疲れが大型の睡魔を呼び寄せ、眠りに落ち、結局休息で終わる。まあ仕方無い。昼に帰り着き、荷解き後横たわりながら、昼食は何を食べよう、と考えているとそのまま寝てしまったのだ。

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夕飯は久々に天麩羅を食べる。自家製の薩摩芋が叔父のところから祖母宅に送られてきたとかで、自動的に献立は決まった。ぽさっとして素朴な味がした。自家製「らしい」。スーパーで買われた南瓜は濃厚でもくもくしており、この南瓜は「当たり」だったみたい、と喜ぶ。芋と共に送られてきた玉葱は、祖母の天麩羅では定番素材の桜海老と共にかき揚げにされた。海老の天麩羅と共に薄い桃色が衣から覗く。
天麩羅粉に片栗粉を入れると良い、とテレヴィでやっていたから、と試してみたその衣は、確かにさっくりしていて美味しかった。祖母は何でも美味しくつくる。やはりこれも、苦労と年数の賜物なのだきっと。
帰宅後は暫く身体が天麩羅臭かった。しかもまだまだ眠い。村山由佳原作で『天使の卵』続編、『天使の梯子』を見逃す。睡眠の方が大事だからさっさと諦めてしまった。
今日は間違いなく、ビールが沁みた。

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何かのタブロイド版通信を読んでいた祖母が、近頃の子ども達の名前は読めないのが多いね、と云って、書道何とか賞受賞者、という記事を見せてくれた。私でさえ時々悩むのだから(半ば楽しみながら)、大正生まれの祖母には真っ当な云い分であるし、小学校の講師をしている母等はもう何年も前からしょっちゅうこぼしている。
何から取ってきたのやら、と祖母が云っていたので、昔の人は名前をつける時何かしら参考にするものがあった、という事だろう。一方、もうすぐ出産予定の元同輩と彼女の旦那さんによれば、彼女は名前を音で選び、旦那さんの方は意味で選びたがるそう(よって、なかなか決まらないと嘆いていた)。もはや、古典に乗っ取って名づけをしたりお目出度い名前をつけたり人はいない様だ。
昭和より前の生まれの人は、片仮名の名前がついている人がいる。平仮名よりも片仮名の方が親しみがあったのだろうか。
ちなみに、元同輩の名前は或る特急列車の名前と同じである事から、同じくクラブの元同輩が、子どもの名前は「ひかり」か「のぞみ」でしょう、という冗談を云っていて笑ってしまった。すかさず、「あずさ」はどう、と云った私はちょっと古いかもしれない。