「不在」.

論文を片手に炬燵に入り、「やる気」が暖まるまでテレヴィを観る。新聞に目を走らせると、丁度全国音楽コンクールのささやかなドキュメント番組がやっていた。演奏をじっくり聴く番組も良いけれども、音楽をやる人の言葉が実は一番、自分にとっては興味深い。或るピアノ奏者が、繊細できれいな演奏をする人は多くいて聴衆に好まれ易いが、自分はダイナミックさを持ち味に自分らしい演奏を目指したい、とカメラに向かって発言していた。音楽らしきものの上辺だけを撫でただけでは、自分の持ち味は分からない。自分にはこれだ、という真実が見える日を、自分は何時掴む事が出来るのだろうか。自分は一体、どういう演奏をする奏者なのだろうか。この中途半端な状態では分からない。どうしたいか、と云えば、静かながら芯のある演奏をしたい。静かながら芯のある人になりたい。
それが良い、と思ってるんだ。
「がむしゃら」に何かやってみる時期はもう終わった。

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先週道で見かけた、或る会員制の高級品セレクトショップの店先を飾る、巨大で真っ白な北極熊の剥製と、恐ろしく長くて細かな螺旋が刻まれている一角獣(鯨だか海豚だか)の角の事を時折思い出しては、早く土に帰れば良い、と唱えている。白い平原をのしのしと闊歩し、魚の影をその大きな手で掬いあげる。螺旋が水面を切る。あまりにステレオタイプ的な想像が、店先から私を暫く動けなくした。会員制だというのに。
ガレのランプとシマウマの首が見えた。