雨の匂いを嗅げばひと鳴き.

良い事を思いついたらば、すぐに実行せねば気が済まない。買いそびれたものがあると、いてもたってもいられない。
昨日の骨董屋で、普段気兼ねなく使う事が出来るような値段で、琥珀色のカップを見かけだが、買わずに出てきた事を悔やんだ。悔やめば悔やむ程、あのカップで飲むレモネードはさぞかし美味かろう、と思ってしまうものなのだ。自分で自分が悔しいので、少し出かける事にしてしまった。
今日は店主がレヂ前に座っていて、目当ての琥珀色のカップは三十年前のものだと解説してくれた。後々調べてみると、60年代から70年代に多く出た品、との事だった。最も代表的なものは現代、復刻版としてしばしば見かける。この店に並んでいるものは別のメーカーから出たもので、一番有名なメーカーとその復刻版とは違う装飾や形に、魅力がある。琥珀色とは、こうも美しい色合いだったか。
他に、給食用の皿の大きなものを一枚、お盆用に買い、店を出た。歩いていると今度は古着物屋に行き当たった。着物の店のくせに外に薄汚れた皿やら猪口やらを置いている。その中から、或る酒造のロゴの入った、美しく薄い白磁の器(ぐい飲みよりは大きく細身で、グラスよりは少々小さい)を救い出す。帰宅後、これにコーヒーを入れてみると、中身が透けて見えた。これだけ薄いと、やはり入れるのに一番向いているのは日本酒、と云わざるを得ない。

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昨日と同じ喫茶店で、フィナンシェとエスプレッソのダブルを注文した。品が運ばれて来る頃、隣に座っていたお客がレヂに向かっていった。フィナンシェとダブルで・・・円になります、という店員の声が聞こえる。奇遇にも、同じものを注文していたらしい。しかもこの組み合わせで。フィナンシェを見ると金塊を想うので、マドレーヌの方が穏やかでいる事が出来るけれども、さすが「金塊」は噛み応えが良いので、完全に拒絶する事は叶わない。近隣の菓子屋から取り寄せているというフィナンシェは、何だか悔しいが美味しかった。噛む度、甘みがバターと共に染み渡る。
読み終わっていない本には、名前を書いた栞を挟んでおきましょう、とメニューに書いてあった。目の前にも栞の挟まった本があり、『地獄変・偸盗 (新潮文庫)』と『私は夢を見るのが上手』に挟まっていた。どんな人なのだろう、とついつい「人の本」に手が伸びてしまう。『問いつめられたパパとママの本 (新潮文庫)』に夢中になりかけたが、暗くなる気配のせぬうちにその場を後にした。

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久しぶりに雨の匂いを嗅いだ。
犬が鼻で泣く時間帯には帰りたくない。健気に鳴かれても、相手は出来ない。