無言.

久々に大学に行く。研究室仲間に課題材料のコピーを頼んでいたので、そのお礼に、朝早くから空いている輸入食品店に行って、最も美味しいと思っているポテトチップスを一袋買い、それを割れないようにふわふわと扱って鞄の隙間に滑り込ませる。この時期電車で周囲を観察すると、ノートや書類に必死に目を通している学生の姿が見られる。自分自身も本日試験があったので、ノートの類の持ち込みを許されていると云えども、うかうかと人間観察をしている暇がある程自信がある訳ではなく、他の学生同様十数回分の資料を捲る。試験の答案に記入する事は難なく出来たものの、事前によく勉強したとは云えず、回答の半分は資料の丸写しになった。私語に邪魔をされながらも、授業には真剣に臨んだつもりだからまあ良しとするが、これで単位が貰えるとなると何だか恐縮に感じられた。
久しぶりにひとと昼食を摂る。大学一年目にして閉店してしまった定食屋が去年の末に復活したので、我々大学院残留メンバーは懐かしがり、しばしば話題にする。当時は少々脂ぎっていた店内はすっかり小奇麗になっており、鉢植えの蘭さえ飾られていた。あの蘭は本物かな、とひとが問うてきた。白い蘭の存在を知らないらしかった。後々近づいて指先で花弁に触れてみたが、確かにそれは「生きていた」。ぎっしり詰まった繊維がひとつひとつ光っているので、そうと分かるのだ。
相変わらず、腸の具合がよくなく、空腹でも満腹でもずしりと下っ腹が重い。そのうち急に悪化して冷や汗をかきそうな予感がし続けている事は、堪らなく不快である。
それでも、食欲でもない空腹感でもない謎の感覚が、豚の生姜焼きとから揚げ定食を欲しがったので、器満杯で出てきた御飯を半分とたくあんを除いて平らげてしまった。以前よりも、塩気が多い気がしたのは気の所為かもしれない。母が健康食を作るようになってからというもの、スーパーやデパート地下街の惣菜、外食先で出る安価な皿の味は、すべて濃いと感じるようになった。

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突然マンドリンの音が聴きたくなり、その欲求には抗えそうになかったので、ひとと別れた後バスに乗り込み、楽器店まで師匠のCDを買いに出かけた。演奏用の道具もついでに買い込む。楽器も小さければ、道具もちまちまと小さく、それが大層好みに合っている事について時にうっとりする。
買ったCDから聴こえる師匠の音は全部いつもの音で、途端に、練習しなさい、と云われた気分になり少々気まずくなりながらも、何度も再生して聴く。シンコペーションシンコペーション、メロディーはメロディー、変化は変化。彼のお人柄について、人々は様々な口を叩くけれども、彼の技術をけなした人には会った事がない。決して否定出来ない音は、確かに「せんせい」の音だった。

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金具の錆と風雨による汚れで、全体が茶色又は黒っぽく変色したトタンの建物の中から、盛んにピンポン玉の跳ねる音がしていた。門の向こうでは、シュロのあおい葉が揺れている。はて、一体何の建物だろうか、と思い写真を撮ろうともしたが、光の具合で画面が見えず断念する。はて、と再び首を傾げたまま前へ出ると、急に視界にやはり黒っぽいトラックが目に入った。危うくぶつかりそうになったものの、よろよろとしているうちに何とか避ける事が出来た。よろよろ、のうちの二度目の「よろ」で、トラックに近づいた時、窓を全開にして眠っている運転手助手のおにいさんに急接近してしまい、もう一度驚く。煙草と汗と「典型的な」香水の匂いがした。

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自然と足が向いた先に、一軒の骨董屋があり、いつもは通過する店なのに今日はなぜかふらりと入ってしまった。しかも、店内を眺め回しているうちに出て行く時を逃してしまい、冷やかしにしては長居になってしまったので、折角だから何か買って出る事にした。そもそも、骨董が好きだから、店に足を踏み入れてしまったのだ。戦前のものだというソーサー付カップと、縁が少々欠けているので通常の半分に値付けがされているプレスプレート(型押しされている硝子皿)を買った。常連客と店員の話を盗み聞いたところによれば、店主は具合が悪くて休んでいるらしく、品物の具体的な説明を聞く事が出来ずに、早々にお金を払いお礼を云っただけで店を出て来てしまった。白くて美しい肌に金縁、一センチ程の幅で黒と白の細かな市松模様が入っているカップは、撫でる度に愛しく感じる。美味しい紅茶が手に入った時に使おう。
祖母宅に、古ぶるしく骨董風の大きな蕎麦猪口がある。以前、初めて骨董を買った時に、図書館で骨董品の蕎麦猪口カタログを眺めた時、どうも祖母宅の蕎麦猪口は少し上等な骨董なのではないか、と睨んだ事があった。そして、今日この骨董屋で丁度、祖母のものと同じ様な猪口を見かけた。値札が貼られていないので値段が分からず、店員に尋ねたところ、傷がないもの(完品)であれば二万円、そこそこで八千円、完全に傷物扱いのもので五千円、という答えが返ってきた。素人には、カタログや記憶で以って品を鑑定する事等、到底出来ようはずがないのだが、祖母の猪口が本当に店にあったものと同じものならば、彼女は二万円の器からひじきを食べている事になる・・・。使われてこその、骨董の本望だろうか。約二百年も前のものだと云う。
少し歩いた先にももう一軒、気に入りの骨董屋があるので、ついでに寄ってみた。元々大した事のない品で更に傷がある為、四百円の値が付いていた、四角い豆皿を買う。同じ白でも、先に買ったカップとは全く違う手触りで、もう少し時代を上がった皿のそれとも違う。単に質が悪いだけかもしれないが、金平糖やチョコレエトでも盛って気軽に使うには、丁度良い。幕末のもの、と云われると、浮き出た菊の模様が、意味深長に見え出す。
昼食に定食を摂った後コーヒーを飲まなかった所為で、胃が落ち着かなかった。電車に乗る前に立ち寄った喫茶店で注文しようとしたが、メニューに「レモネード(H/C)」の文字が見えたので、そちらに傾いてしまった。久しぶりに飲む。「ポッカレモン」から酸っぱいレモネードを拵えてもらった、いつかのうんと寒い日を思い出した。