白と黒の魚がおよぐ.

大事な時期がすべて抜け落ちてしまった、この日記を哀しく想う。もはや何をどういう態度で書き記していたのか忘れてしまったが、再開する事にする。

こんなにも毎日、ものが書きたい、又は、書かねばならない、と思い続けるとは、予想だにしなかった。学生時代よりも進む様になった読書の合間に、自分がもの想わずもの感じずもの書かずに日々を過ごしていく事を惜しむ気持ちがどくどくと、心底から湧き上がってくる事に、驚いた。
音もうまく聞こえない。目もよく見えない。空気もうまく吸う事が出来ない。小鳥が鳴かない。花も光を受けない。
今、一番求めているのは、紙と鉛筆なのだ。薄いクリイム色をした紙に、すくっと鉛筆の先っぽを埋めたい。早く。

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本を詰め込み過ぎて、営業職の人のもの以上に重い鞄を、毎日抱えて電車に乗り込んでいる。途中視界に入った書店で「買い食い」したものの重さで、更に鞄の取っ手は我が手に食い込む。
期待外れだったが仕方なく最後まで付き合うつもりである『音楽を「考える」 (ちくまプリマー新書)』と、「一行先も予想がつかない」という帯の言葉が間違いでない事に驚いた『コップとコッペパンとペン』、その他日によって建築の本なり、雑誌なり、簿記の本なりが追加される。
コップとコッペパンとペン』は、大型書店で買ったのでたまたま署名本が手に入り、「業界初!剥がせるサイン」と書かれており、なんだなんだとサインを探してみれば、糊付きメモに蛍光ピンクの太いペンで書かれた丸字が現れた。メモで隠れた箇所の文章も読まなくてはならないのだが(なんせ冒頭の一頁目であるから)、なんとなく、メモを退かせたくない。・・・この頁に貼ったのは、故意、なのだろうか。

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祖母から、戴きものの蜂蜜を一瓶譲り受けた為、何かしらに入れて楽しんでいる。蜂蜜というものは、特殊な味のする食べ物である。無闇矢鱈に甘ったるい訳ではなく、確かに甘いのだけれども「訳あり」の甘さがある。鼻と舌を揺らすその甘さに、今頃咲くはずのつつじを思い出した。甘いよ、と友に促されて吸った、あの少々青臭く一方もったりとした甘美さが甦る。
職場の上司が、匂いだけでも気分が悪くなるという滅法の珈琲嫌いで、会社近辺に居る時は自分も珈琲を口にせず、水かお茶ばかり飲んでいる。自宅に帰っても、水を飲む。そこで丁度蜂蜜があるので、炭酸水を買って帰り、そこに蜂蜜と氷を入れて飲んでいる。
フルーツゼリーをスプーンで削ぎ取りグラスに入れていき、蜂蜜と氷、炭酸水を入れると、色鮮やかな上に丁度良い甘さに仕上がって、嬉しい。この飲み物は、港町にある洒落たカフェから学んだ。
店で出たものを再現する事で自分のレシピを増やしていく性質は、父譲りである。太鼓腹にならない事だけ、気をつけねばならないが。