もう無いもの.

満たされている時にはそれ程意識的に観察しないくせに、残り少なくなった時やすっかり無くなった時に、残った泡や痕跡を見つめながら、そこに「昔」在ったものを強く想う。
例えば、目の前のカップにへばりついているコーヒーの泡の帯、である。棺桶の中の亡骸は例外で、「それ」はもうすっかり「その人」の気配をなくしているからして、私には「もの」としか感じる事が出来ない(そうでもない人はいるだろうが)。「その人」を思い出させるのはもっと別のもので、墓や位牌、道端の花、匂い、空気、風景、等思わぬ瞬間に目の前に現れるもので、特定出来ない。
からのカップを見つめて、その中身だったもの(ほうじ茶黒糖ミルク)は美味しかったなあ、と思ったのだ。