たそがれる才能.


地球の隅の隅で、何も大した事はしていないのに、何故これ程疲労を感じているのかしらん。高層ビルにも夕陽が落ちる。ここ数日雨か雪ばかりだったので、快晴の夕べは久しぶりだった。
起きて働き眠る、という生活の中で、以前はあった余裕が近頃なくなっているのは何故か、と問う。殊に、書物や芸術は「疲れるもの」として倦厭する日々が続いている。音楽こそが悩みの種で、追えば追う程逃げていく。音楽と男は似ている、とぼやきたくなる(アプローチの方法が間違っているのだ)のは又、別の話だとしても、放っておきたいのか追いかけたいのか、それすら考える事が出来ない。
仕事帰りの電車でふと眠りから覚めた時、暗闇一面に広がる街の明かりが目に入った。明かりの元に、色々な生活や空気、匂いがあるのだ、と、ぼんやりしながら視線を先まで延ばした時、そういえば、近頃ぼんやりしていなかった事に気づいた。
たそがれる事、ぼんやりする事、頬杖をつく事、それらが余裕の素で、電車の中で眠り込む事が休憩のすべてなのではなかった。
ぼんやりの虫がいつか戻ってきてくれる事を祈る。