七夕.

近頃の気軽な話相手は専ら男友達かおっちゃん(失礼)だが、頻度は低くとも一を語ると七、八、或いは九まで通じるのはやはり同性の親友なのだな、と実感すると、彼女らを日々おざなりにし過ぎているのではないかと反省する。異性(男性)に対しては、ギブアンドテイク、需要と供給の一致が良好なバランスである。が、時々つい要求し過ぎて思い叶わず一人落ち込む。

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七夕だが、かささぎの姿は見えず。例え見えても、身体が重いため拒否されること間違いない。特に腰が重い。
声だけは常に聞こえているのだ。秋になったら、会いたい人たちがいる。白いかささぎでは時間が掛かるので、白い高速の乗り物で関東方面へ向かう予定である。

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複合オフィスビル、という所に毎日収納されることは、一般的に平坦な日々と認識されるようで、その感覚を少しでも軽減する為か、ビル管理会社も多少努力する。巨大な観葉植物の鉢植えを見飽きる寸前で入れ替えてみたり、季節のイベント事を取り込んでみたり。七夕は、外界のムードに併せて巨大な笹を2房程立て、ご親切にも短冊記入台まで設けられる(一体誰があんな高いところに短冊を吊るしたのだろうか、と短身として思う)。短冊に願い事を記入する姿を同僚に見られるのは些か恥ずかしいので書きはしないが、書く文言は決まっている。
仕事くれ。
太字、手書き、毛筆で。
受験勉強と就職活動には相当縁のある人生のようだ。やる気のない性格のくせに変化を求めてしまうのか、あるいは、変化を引き寄せてしまうのか。恐らく両方であろう。
何かが一つ進入に成功すれば、何かが一つ落伍する、そういうイメージを社会の仕組みに対し抱いている。社会のみならず生物学的な世界における淘汰という仕組みを鑑みても、この世の大体の仕組みは前述の様な法則が根底にあるのだ、ということに気付く。そう考えると、とある組織から押し出される身としては、致し方なし、と踏ん切りがつこうものだが、落伍者の行く末にスポットを当てた歴史なり研究なりが少し位あっても良いではないかと、高度文明社会において思う訳である。

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転職サイトにお世話になることにしたので、久々にパソコンを仕事後も立ち上げる日々がやってきたが、どうも使用中のパソコンの動作が遅い。1分1秒争うスマートフォン時代において、どうも勝利を収められそうにない。マウスも反応しなければ、文字の表示速度がタイピングに追いつきもしない。
パソコンも加齢するらしい。或いは、早々に夏バテかもしれぬ。

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ウイルスバスターはもう少し軽やかにならないものだろうか。

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こういうこと(どういうことかは表現し難いが、感覚的なことというより左脳で把握した現実的なこと、と云うべきだろうか。色味としては灰色)を書きたいのではないのに、泡のようにこういうことが浮かんでくるので、優先して書いてしまう。書きたいことはすぐ消えてしまう、かといって「つぶやく」のも何だか勿体ない。ああだこうだ。

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uuiya-ui uuiya-ui*
uuiya-uiya-uiya-ui*
本日口ずさんだ唄也。自由になれる唄、大の字になった気分になれる。