今日は練習日.

就職活動している人の、スーツ姿が目に沁みるこの頃、一人横道、袋小路に迷い込むu:…

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京マンに行こう、と思いきや、練習時間を控えた紙とメールをどこかにやってしまい、半ばカケで出掛ける始末。。
今日も何となく、マンドリン。4月に入って、何か踏ん切りがつくだろうか、と考えつつマンドリン。(それではつかないこと、間違いない)
3年連続、本番席崖なるかは、これからの出席具合にかかっているといえようが…。崖は厭な気がする(…気がする……)が、今日もついつい出掛けてしまう。行(逝>英雄葬送曲)ってきます〜


暁、に留まることを知らない(昼間もずっと眠い)春先…
楽器を弾いていると(特に基礎練などをしていると)たまらなく眠たくなります。楽器を抱いて(抱き心地が良いのがマンドリン系の特典其の1)うとうと…楽譜に突っ伏してうとうと…という状態にあるのは、怠けモノの私だけでは無い様で、「眠くて練習にならない」との声を、ボックスでもよく聞く今日。
眠れない不幸も良く分かる、がしかし、脳がα波を出しかけている最中必死に身体を起動させなければいけないことは、ある種拷問。
生きていくことって、こんなに辛かったっけ
と思ってしまうわけです。
眠●打●、は未だに試したことはないですが、きっと今年中には試す機会がありそうなものです。(卒論か、教育指導案作成か)快眠●人も未だ・・・(こちらは中間発表前服用予定)

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無いことは無い<ネタが.
しかし、筆力が無い、これは無い。うむ。ふむ。むむむ。某広告企業の採用選考応募条件に、「日本語が堪能であること」というのを目にしたことがあるが益々身に沁みることよ。
昨日(サクジツ)、実感を伴って、【欲しい本の為に、食事代諸々を割愛】しました。欲しい、と思う本はやはりなぜか高い。
世の中のあらゆる本は、その価格に釣合った価値をもつ、ということを大いに期待します。
本の価値というのは、その本を持った人が判断するものだと思うが
上記のような法則があった方が、本も良い「本生」を送れる気がします。安い本は安い本で、いろんな人に可愛がられ易く、高い本はその分、本当に大事にしてくれる人に大事にしてもらえる、というふうに出来ていて欲しい。(出来ていてくれれば、気楽に本が売っぱらえる)以前あった私の、本に対する所有欲は、本という存在に対する様々な欲に変わりつつある。本には、「在るべき」場所に在って欲しい、世界中・この世をいつも、循環・流浪していて欲しい…(と思考しながら、古本屋を物色、売っぱらいに出掛ける。
自己満足最高*)
花もそろそろ散りかけで、以下の話題も難だが…
先週は、ほぼ連日花見に出掛けました。二回は独り、一回はクラブ、一回は身内と。この時期によく耳にする話題といえば、「桜の木の下に、大勢で座ったり、シートを敷く*と木の根の健康に良くない(呼吸困難)」というネタは数年前からか。* 「しく」or「ひく」は、地方別か? 私見としては、「しく」が一般、 が日常で使用しているのは「ひく」…辞書にはどっちも記載 「敷く」と「引く」…むむむ。(日本語ハ堪能カ…?)
読書好きの会話に多いのは、「桜の木の下には屍体(シタイ)が埋っている!」(! …か。)先週から、以上のフレーズの出典を思い出せずにい、「今日こそ思い出せねば、夜も眠れまい」と切羽詰まった為大変不本意ながら、ネット検索に掛けてみた。_l ̄l○<倒
判明:梶井基次郎 新潮文庫檸檬』内の『桜の樹の下には
しかも、我が本棚に存在していた…(灯台下暗過ぎ)もう一度読み返す。ネット検索にかかった記事に寄ると、桜の樹の下に埋っているシタイの血を吸っている為、あの在り得ない美しさを実現しているのだ、としている。梶井氏の作品以外に、「桜の樹の下には…」という伝説でもあるのか、教養不足の私は存じない。作中では「血」という記述は一切見られない、事が気になった。世間の解釈違いで、その怪奇じみたフレーズが一人歩きしているのか、それとも、別に、そういう逸話が伝わっているのだろうか、とても気になる。
この『檸檬』とその他の掲載作品を読了したのは、数年前(十代も末頃?)だったように記憶しているが、話の筋や状況を受け取り楽しむ作品では無く、情感を受け取る作品、だと感じたように思う。
人の内面をここまで鮮明に書き上げるとは、と感じることが出来たのは、本を手に取った時期がアタリだったからかもしれない。「何か漠然と不安」「何だかよく分からないけど」という自分の心理が、(桜の下にシタイが埋っている、という想像自体、というより、その美しさが逆に不安で陰鬱に思える、その心理)作中の描写と重なって、よく分からないけど、納得・感心したような、ような…むむむ、という感想を抱いたなあ、と今日この本をひっぱり出してきて回想した。
綿矢りさ蹴りたい背中』も、今だから何となく、その気持ち(蹴りたい感?)が理解できるような。蹴りたいのです、その目の前にある背中を! とぇい!
以上とは別に、「この人、人の血ィでも吸っとんのとちゃうか、
このあり得ん美しさは…」と思わせる人、いるよなあ……と、今日も、散りゆく桜の下を歩きつつ思ったわけです。
※ 作文では禁止事項の、「です、ます調」と「である」調の混同が多くありますが、それなりに意味を持たせて使用していますので、どうかご容赦下さい。読みづらくて申し訳ないです。

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近年は滅多で遭遇しないですが、食品容器のフタ、及びフクロ開け失敗による、大惨事。幼少のみぎりは、たまにやっては泣きそうになったものですが。
先ほど、ヨーグルト(食べ終わった後に期限を見て閉口)の蓋開けに、失敗したわけではないのですが、勢い余ってか、中身が少々舞いました。…。
納豆などの醤油の小袋開けは、極極細心の注意を払っている為失敗はしませんが、いまいち納得出来ない開き具合に、もう数年も首を傾げているのですが、どうにかならないものでしょうか。(手で破って開け易いような材質にはなっているらしいが)
先日、どのメーカーか分かりませんが、開けたときにいっきに(ぶあっと)中身が出ないように、開け口が狭くなっている醤油の小袋がありました。メーカーさんの努力を認めたいと思います。
個人的には、魚型醤油いれ(キャップ付き)くらいの安定性と安心感が欲しいのですが、↑自体は、かさばり問題とゴミ問題と手間問題が痛いですね。どうにか、すべての問題をオールクリアした
タレ小袋及びフタを開発していただきたいものです。或いは自分で開発するか。
今日は、随分前に流行ったがもう今日では購入する人はいないであろう、ビーズクッションを、当時の値段より恐らく60%引きくらいで購入。これが新発売された時には、かなり感心したものですが。PCを長時間いじっていると、お尻が痛くなるのです。それの緩和に、一つ。さすがにドーナツ型は、ちょっと…買えませんでした。