trip.

近頃ずっと眠りが浅く、あまり頭と身体が活発でないのだが、今日も帰りに、どこか放浪したくなり、一人でふらふら。

そんなつもりと予定は無かったのだが、一回きりしか行ったことのない古本屋に、久々に足を運びたくなり、滅多に降りることの無い駅で下車、県の中でも大規模な都市にも関わらず、街らしい派手な喧騒とは程遠いような駅周辺。やっていけているのか(失礼)と
思わず要らぬ心配をせざるを得ない、商店街。今風の家とは全く違う雰囲気の住宅街、その中に、ふと見出せる銭湯。(用具があったら浸かって帰りたい!)見慣れない街、外の意識……何だか旅行気分にくらくらするアタマ。

同県で、我が住処とそんなに遠くない場所に、こんな不思議な旅情を掻き立てる街があるとは。またの機会に、現実逃避で放浪しに行こうと思う。まさに、近くて遠い場所、の魅力。

以前から気になっていた本が、安価で出ていたので購入。帰宅後すぐに読みにかかり、2時間ほどで読了、現代小説は、集中して読みきってしまえるので気分がいい。(じっくり読むタイプ、読みきりたくない程愛しいタイプもあるが)

『いちげんさん』は、放浪中ふと気に留まった日本に、留学し京都の大学で国文学を専攻している「僕」が主人公。盲目の女性、京子に対面朗読をするアルバイトをすることになる…。外国人である「僕」の熱い想いと共に、京子との関係、「ガイジン」と京都との壁などがキレのある語り口で以って描かれている(ように勝手に思う…)。裏表紙の書評によると、「古都を舞台に爽やかに描く恋愛長編」だそうで。爽やか……個人的な印象では、恋愛に関しては、瑞々しい表現で巧みに描かれているとは思うが、爽やかというより、淡白なような。「いちげんさん」というテーマが言いたいのだから、当たり前か。しかし、程ほどの描き方が丁度良い。ベタな展開な訳だし。

日本人が、外国に行った場合、もちろん区別というか、明らかに違った目、場合によってはこちらが不快に思うような目でみられるのは、よくあるような(ほぼ外国らしい外国に行った事が無いので推定)事だろうし、「ガイジン」呼ばわりされて不快なのは、当然で多少諦めるべきなのではないか、とこの作品の途中部分では思っていた。が、段々読み進めていくと、日本以外の国と、日本特に京都のそれ(の程度)とは異質なのだという考えに至った。例えば移民の多い大国などでは、人それぞれ「違って」いる事が特に不思議でもないはずだ、違うのだなあ、とせいぜい、じろじろ見られて終りなのだろう。が、日本は、「同一意識」と「異質なもの」に対する意識が払拭できずそういう点で、外(の人)との壁は分厚く高い。
(という、当たり前で貧弱な我が思考の整理を、日記を利用し書評にかこつけて、行ってみる…)

「壁」のある国・日本、死んだ街・京都、貴重な示唆を与えてくれる作者は、スイス生まれ,第二十回すばる文学賞受賞。著者曰く、日本語で書くということは「日本語的発想」で書くということではない、と。彼が云わんとする点は頷ける。こんな整った立派な日本語を、日本人が果たして書けるかという事は脇に置いておくにしても、この作品(の語り口や表現、視点)は外国人にか書けない。日本生まれ・育ちの日本人では、持ち得ない手が見え隠れ。…勉強になりました。(盲目、視覚、のテーマは結局持て余している気はしないでもないが)