ハ長調

今日、ドラマ「夫婦。」を観ていたら、(…親父って感じがしない旦那だ彼は)
ヴィヴァルディ作曲で映画「クレイマー、クレイマー」の挿入曲が流れた。
マンドリン協奏曲ハ長調一楽章だったと思う。私の手元に楽譜もある。
CM等でよく耳にするが、いつも「誰が弾いているのだろう…」と気にするのは
もはや、マンドリンクラブ所属者の「職業病」かもしれない。
(講義中やTV/映画鑑賞中、マンドリンらしき音が流れれば、
内容そっちのけでBGMに集中力を傾けてしまう事がよくある。
以前字幕なしで、アメリカのドキュメンタリー<確か、Mark Twain関連だった
を講義中観ていた時など、途中ミシシッピー川の映像と共に流れてきた
フラットマンドリンカントリーミュージックに集中し過ぎて、
全く番組内容を追えなくなったことがあった。)

つたたた、つたたた、つたたた、つたたた、つたたた、つたたた、たった。

ハ長調の純粋で単純、というより、能面を被ったような音階の感じが
とても不思議だと思うのだ。ヴィヴァ、平均律、と云うべきなのだろうか。
素人には良く分からないが。(目下自主勉強中……のはずだが…)
#や♭が付いたりして、いろんな雰囲気の調があるけれど、
個人的には、ホ長調は気分が悪くなり、ニ長調ニ短調ではご機嫌になれ、
ハ短調は心の友である。
昔から敬愛している「教授」の曲と、彼テイスト曲は概して、
♭が多い。為に、演奏の際素人の私は、苦渋の面を浮かべざるを得ない。
(ピアノだと黒鍵があり、♭も容易にクリア出来るのだが、
マンドリンは「ソ」「レ」「ラ」「ミ」という調弦の為、
著しく♭が弾きにくく使われにくいので、♭の多い曲では元気が出ない。
何となく、ハ長調でさえ弾きにくい。)

クレイマー、クレイマー」は、いつか観てやらないと…
この映画に限らず、私は映画を見なさすぎで、今まで来たので、
勉強と生き抜き(息抜きに非ず)がてらに「観ねば」と思う映画が多すぎる。
今時、レンタルビデオ屋のカードさえ持っていない学生も、少ないか。
<なんて健全!(純粋な意味に非ず)
…読まなければ、と思う本も、最近多忙で進んでいない。
教養として必要、というよりも
(たかが私が読むことが出来る本で、
学問と常識を語ることは馬鹿げているので、
それに関してはとっくに諦めている)
日々の頭脳活性化と、思考力及びその応用力をつけるべく、
読むべき本が、多くあるのだが。

「クレーマークレーマー」#と聞くと、関根勤氏、と即答する同士は…
…ごほごほ。
#映画の方は「クレイマー氏」で、
↑は単なる「クレーマー」なのだ…という事をこの日気づく。
物知らずである。道理でクレームをたれていた訳だ。

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世間の大学卒業予定者と希望者は、卒論の佳境時ではないか、と思う。
私の場合、英語学という分野で書いているので、
ひたすら英語で書かれた論文と、英語で書く卒論に昏倒する運命らしい。
…思うに、
語彙力がコーコーセー並みなので、作業スピードが遅いのか。
(読解力はまだマシな方だと自負。
なんせ、予習出来ていない講義中の必死な速読で、
力が自ずとついたものだから)
ジュケン時に活用した単語帳でも引っ張りだそうか、と思う。
…●会出版、懐かしい(当時、Z●を贔屓にしていたクチ)。速読…出てきた。
が、いまいち…。TOEIC用テキストで良いのを探すか、勉強のついでに。

PCを使っての作業では、ついついon line辞書を使ってしまう。
すると、後から見直すと意味不明な訳文が出てきたり、
簡易辞書は、用例がほとんど掲載されていない為、誤訳が多くなるのだな。
効率と確実の両方を求めるには、やはり近道は存在しないらしい。
…世界はうまいこと出来ているんだなあ。(<純粋な意味に非ず)

今、『農夫ピアズの夢』中の、語尾に-able, -ful, -al 
がつく単語を洗い出す作業をしている。
シェークスピアやチョーサー等、よく研究対象にされる、
有名中の有名作家の著作なんかは、on lineでボタン一つで
前述のような作業は片付くのだが、大抵の作家の場合、手作業で
めくってもめくっても、まだそこに存在する紙束から
目を皿にして、それらを見つけてカウントせねばならない。
しかしまだ、コンコーダンス(という、作中での用例を集めた一覧表)が
あるだけマシである。頑張ろう。

というような作業と研究内容を人に話すと、
大変やねえ。(<嗚呼、出身地方が明…)という反応を
大抵の人が返してくるが、
当事者が思うに、「自分は何て暇人」なのだろうか、と。
こんな暇作業をしている間に、何処かの研究室では
人を救う何かの研究・発明がなされてい、
少なくとも同じ文学部でも、「人生の何たるか」が議論されているのだな、
と思う。

否、言葉、(を扱う学問)に関わる意義は、大きい。
言葉、の必要性は別問題として
(それは必要であるか、文字はどうか、という諸問題も興味深くはある)
言葉は、すべての発端であろうか、と考える。

と大それた言を吐きつつも、今孤独に進めている卒論作業…
英語のある語が現れたり消えたりする、そこに
法則や「事故」などはあったのか
という事を探れ、という興味でやっているのだが、
単に「発音すんの面倒くさいから、言わないの」
というアバウトな現象がよくある。
言葉とは、結局道具でそんなものなのである。
実に人間臭い。
(人間自体は好きか嫌いか、自分のその好みも知れない(考えない)
けれども、人間臭さの追跡、は好きだ。)
その人が使う道具に、その人らしさが現れる事がよくあるが、
(道具の選択、道具に沁みついた使い手の癖と垢)
言葉は道具だ、という文脈が正しいとしたらば、
言葉は人間の鏡と云っていいと思われる。    

…面白いなら、さくさく進むはずの作業は、
これを書いている、という「言い訳」でまたもや停滞の模様。
人はこれを、現実逃避といおう。愛の逃避行。


何方か、日本語文章における句読点のうまい挿入方法を、伝授して
いただきたい。(切実)

英語にも,や.など、、や。に相当する記号はあるのに、
なぜ日本語はスペースを要しないのだろう。不思議だ。
段落の頭に空白を挿入する点では、相違はないにしろ。
短絡的過ぎな思考だが、平仮名とそのヴィジュアルの効果が大きいような
気がするのだ。
よく耳にする、「日本独特の‘間’」というやつか。平仮名は空間が広い。
…其の所為で長らく「、」を打たないでいると圧迫感を覚え、
「、」を、打ち過ぎる、と、拍子抜け、するのかも、しれない。(<例)

…日記か?これ。

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孤独な深夜作業に、ラジヲを投入。喋っていてもらう。
金土日は、朝まで何かしら喋っていて下さるのでいいけれども、
平日はある時間を過ぎると、信号電波に変わるのが、さらなる孤独を誘う。
何でも聴くたちなので、
ポップスでもジャズでもニューズとトークでもテクノでもクラブでも…
嬉しい。
が、普段勉強している時は、楽器の音ならまだしも(管楽器は無理)、
人の声が少しでも聞こえると、気に障って集中出来ない。
絶対音感は身に付かなくて良かった、と思う。けれども、
まあやはり厳密には楽器音も、気になって駄目なのだが。
音、を除けば、結構集中は保てる。人が傍に来ていても、
気づかない(それは鈍感)

音、がどれだけ日々の中で重要か。
聴覚を失ったならば、私はきっと発狂するだろう。自信がある、間違いない。