どうしたの三省堂.

角田光代の短編、更新待ち中に「まだかな未だかな〜」と
歌っていたところ、自分の年齢に気づかされた。
…いつのCMだ、学●のおばさん…)


先程から、知っているけれど今此処にあるはずのない匂いが、
部屋に居る私の傍に漂っている…一体何であろう。
空耳ならぬ、空鼻だろうか。
(以前使用し、今は使用していないシャンプーの匂いなのだ…
懐かしい匂いだが、多少不気味である。)

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感情的にならず、自分が今出来うる限り、あるべき状態に
もっていく事の大変さ、と言ったら。
…笑顔を保つ事は、難しかった。
でも、私に出来ること、もたらすべきものは、笑顔なのだ。
笑顔は無理でも、最低限「不機嫌」顔ではいけない。
指摘すべき点を指摘し、しかめっ面すべき人は他にいるのだ。
私が出来る事は、その人と同じではいけない。
しかめっ面している人ばかりだと、場の雰囲気も益々悪化し、
良い効果ももたらさない。
笑顔でいる努力をする事で、いろいろな事が見えてくる。
叱る以外の方法で、事を改善する。
人の弱点を指摘するのではなく、彼彼女らの自分の力で自然に
解決できるように、密やかに方策を仕込む。
勿論自分の力も、他人をフォロー出来、尚且つ他人の事まで
考えられるレベルまで、高めておく必要がある。
そして、その成果、笑顔が生まれるのだ。
明日も頑張ろう。しかめっ面よりも、笑顔。
(しかめっ面は、かなり得意なのだ…)

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今日、三省堂で本を購入すると、
ブックカバーがいつもと違っていた。
つるっとした紙にカラーで、
写真(自動車の宣伝、にしても、なかなか良いデザイン…)
とイラストが入っていた。
読書週間専用なのだろうか、それとも永久変更か?

シンプルでざらざらした、以前のカバーの方が何となく好きだ。
こんなにインクを使っては、いづれ灰になる運命なのに、
紙とインク(石油)の無駄ではないか、と思う。
(と云いながらも、何となくいつもかけてもらってしまい、
いい加減無駄なので止めようと思う。自己嫌悪。
自分で拵える時は、トレーシングペーパーや、不要になった楽譜か
黄ばんだわら半紙にてきとうに印字するかそのままを、活用)

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脳の媒体と活力を、趣味に回している余裕が無く、
アタマをよく刺激する本が読めない、今日この頃。
購入した本が、読まれずに部屋に積まれて山を形成するのみ…
うずうずしている。
購入して読める本といえば、慰安(ごく単純な意味)に
なる本くらいである。

本日購入>
壱:のだめカンタービレ(3) (KC KISS)
弐:オカルト (新潮文庫)

壱…今、私自身、オーケストラと似たような形態に所属している為、
非常に身に沁みる内容である。
そう…がみがみと言っていても、何も始まらないことがあるのだ。

弐…何となく手に取る。短編か、文庫本一冊の規模しか、読めないでいる。
まとまった時間を無理やり取り、いっきに読みきってしまう読書傾向。

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私の行動範囲内にある、規模の小さな店で
よく私の良く聴くラジヲ局の放送が流されている。
そしてそのラジヲ局は、大学のすぐ傍にある。

不意に店に入ってかかっていると、何だか部屋で寛いでいる気分がするか、
授業をサボタージュしてその店で寛いでいると、
大学に行かねばならぬ、とその放送から流れてきそうで、気が気で無くなる。
また或いは、放送中読まれているリスナーからのメッセージで
「只今、課題作成中です」「勉強中です、大変です」等と流れている時分、
自分は現実逃避でその店に流れ着いているとなると、
途端に居場所を無くす。

音は、私に、想いと思いをもたらす事は常らしい。