大きさ競争.

男性と女性の感性に関する談義をする際は、「萌え」の定義と対象に談義の焦点を当てると良い。表面上余り相違が無いように見えるが、実は「入り口」が似通った表現をされるだけで、詳細とその先には大きな相違が見られるだろう。男性について女性には分からない部分の一つ。証明するには、種種の御宅と会話すると良い。

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ドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」で、紅茶茶碗3杯はいける。

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先日の卒業式でオーケストラ部が、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕前奏曲を演奏していたが、その曲を聴くとブギーポップブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))ジュブナイル小説の主人公)を思い浮かべる人は、果たして私だけなのであろうか。
そこで「マイスタージンガー 卒業式」で検索すると、回答が出る。「マイスタージンガーブギーポップ」の連想は、極一般的な様子。そして、卒業式といえば「マイスタージンガー」が演奏される、という事も学習す。

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詳細は既に遥か彼方に行ってしまったけれど(獏に食われたとも)、我が家が破産して、とりあえず明日からお金が無いので家を売ります、という夢を見る。…どきどきした。眠る前に「自宅が火事になったら、私達はどうなるんだろうか(どうするのだろうか)」という事を考えたからだろうか(いつ起こってもおかしくはない)。

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以前テレヴィで、巨大寒天を作成しギネスブック記録更新に挑戦する模様が流されていたが、今日の母は、パウンドケーキ型でゼリーを作成しようとしている。何でもサイズが大きければ良いというものでは無いと思う。

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テキトォに出来る人、テキトォが良いと思っている人は、大概真面目に出来る人か、真面目にやっていく事に疲れた人なのかもしれない。客観的に見て明らかに自然体でテキトォの人は、自分がテキトォである事に無意識であろう。やはり、テキトォは適当なのかもしれない。斯云う私は、テキトォにすると危険な人種なので、テキトォは駄目だと念じている。※しかしテキトォにあしらわれる事は、決して気分の良いものでは無い。テキトォにしてくれるのは構わないが、テキトォを押し付けられるのは困る。