伝導.

知人出演の演奏会を聴きにいく。その団体の主宰者は、自分の信念のもと(マイナーであるその楽器を、演奏愛好者だけでなくて世間一般に知らしめ、多くの人に楽器の良さと楽しさ、素敵さを知ってもらいたい為に、活動していく、という)第一線で活動する御仁で、私も尊敬する。ただ、主宰者が熱い事は素敵な事だが、その主宰者に参加者が引きづられているだけで無い事を祈りたい。団員各々が素晴らしい技術を持っている事は確かで、相変わらず良い演奏だ。が、気合や熱意、曲への自分なりの解釈は、圧倒される程には感じられず、演奏中どんな感情で弾いているのか、あまり良く分からなかった。主宰者兼指揮者は、慣れと思いの熱さは一番で、さすがにあらゆる表現が達者だ。観客の私とはずっと距離があるはずなのに、迫ってくるものがある。よって、素晴らしい主宰者にしてこの団員在り、と云わしめる様に、(折角立派な先生がお傍におられるのだから)もう少し一人一人が熱く、思慮深く、もっと楽器と「出会い」というものにがっつく勢いがあれば、随分その後の活動も、そして日本のマンドリン界も変わると、私は勝手に考える。・・・そんなに偉そうに語るなら自分で実践しろ、と云われて当然なのが私なのだが、時機を見て・・・という事で・・・は駄目だろうか。(下手くそには、呟くくらいの権利しか無い気がする)しかし、いつでも熱くされど冷静、思慮深く在りたい。真正面から激突しよう。
プッチーニ、18歳の作品「交響的前奏曲」における、18歳ロマンの萌芽、に悶える。若いって何だろうか。「夢の魅惑」は、余裕と落ち着きの有る美しさ。
この団体、アンコールでは各々数歳若い演奏ぶりで、とても楽しそうだった・・・彼ら/彼女ら本来の姿なのではないだろうか(主宰者を愛し戯れる団員達・・・)。曲目(笑)の所為もあるが、オーラの色が一気に鮮やかに変化して、非常に面白かった。有難うございました!お疲れ様でした。

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日本には良い(音響効果、設備が)ホールが本当に少ないと云われるが、実際ホールを使用する身となって、その云われに納得する。楽器本来の音が「ぴん」と飛ばずに、どこかに篭るか拡散してはっきり聴こえないホール、弾いていると自分の音しか聴こえないか、自分の音が飛ばずに、自分の半径ほんの数メートル以内に止まり纏わりついてくるような感じのするホール、低音と高音で聴こえ度が違うホール、色々体験したがいずれも不快感がどうしても残る。見掛けでは無くて、本当に効果に気を配った良いホールを、何とか設立して欲しいものだ。資金は必要だが。せっかく著名な音楽家が来日したり、とても期待出来る演奏会が開催されようとする時、ホールが駄目だとすべて台無しになる(恥ずかしい)。今日の演奏会でも、もっと良いホールならばより良かったのに、と感じる。

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音の無いメロディ・・・か。

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牛のすき焼も良いが、鶏も良い。鶏皮好きにはもってこい。