カバ似一族の大黒柱.

電話のストラップを突如思い立って変える。アジア雑貨店で求めたカレン族シルバーの小さなパーツから、ムーミンパパに。カバに間違えられると怒る、この非常に興味深いフィンランドの妖精一族の中では、パパが個人的に一番の気に入り。しれっとした顔で家族が危なむような冒険をしながらも、しっかり一家の大黒柱を務めている、そしてたまにおちゃめな点を素敵に思う。ママはママで、このパパにしてこのママありの可愛らしさとおちゃめっぷりが素敵で、ムーミン(二世)はその二頭のおかげで結構なヘタレに仕上がる。
そして久々に読みたくなった本は勿論、『ムーミンパパの思い出 (ムーミン童話全集 3)』。海で拾った漂流物がママ・・・って・・・

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そして今日も、自室は片付かない。

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或るパーカッショニスト御二人のリサイタルに行く。 耳慣れた「具体的な旋律」は感じられない打楽器(私の様な素人には)だけれど、音楽というか「音自体の存在」、分かりやすく云うならば、打楽器から出る音の間間につまる「間」を感じる事による、「音」の主張、を感じられるのだ。そればかりか、その「間」「空間」に漂う、打撃という非常にシンプルな行為から生じる「音」を追いかける事により、この世の在り処(「この世」という認識そのものか)を、何だかぼんやり掴んでしまえる様な感覚。「良かった」とか「上手い」とか、耳が肥えてない私には分からないのだが、ただただ魂と音、この世の感覚を受け取った様な気がするので、大いに感激。音は空気の振動で、空気があって音が響く、という事はつまり、この世が此処に有るからなのだ、という実感を得られ、大層幸せで不思議な心地にさせられる。
しかし打楽器とはすごいもので、叩き方や道具によって、七色以上の音が出る上に、複雑な流れと複雑なスピード(超速有り)には、お客はただただ舌を巻くのみだ。神経がこんがらがりそう。

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帰宅の時間が迫っている為、リサイタル同行人及び会場で出くわした人との食事と呑みを早々に切り上げたのは良いが、空腹に急いでビールを突っ込んだものだから、久々にビール一杯で酔ってしまった様な気がする、否酔ったのだろう。以上はどうでも良いが、美味しいものは、ゆっくり味わいたい。勿体無いから。

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つけたばっかりのストラップ、早くもパパが家出しかけて、衝撃を受ける。やはり外国製品は、ちょっと脆弱だ。