ニュートラル!.

「桜がそろそろ咲きそうですね」
・・・・・・「そうですねー」
「だからさ、恋愛は、片想いが面白いんやって!」  (引用)
・・・・・・「そうですねー」

出来るようにしかせむ為、ひとの言い分はどうでも良いけれど、片想い中は少なくとも面白いと思ってやってはいない、と思いだすと興味深くなってくる。(こういう類の論をぶちかますと途端に痒くなる、この地獄の季節が嫌)

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熊に追いかけられる夢をみた。
なんせ熊なので、相当恐ろしく、どこまでも執拗に追ってくる。屋根や家屋をつたって逃げる私、追う熊…。 そして思いつく、「猫にまたたび、熊に蜂蜜!」 蜂蜜を食べさせているうちに、逃げよう、と。 蜂蜜を投げたら案の定壷に顔を突っ込み夢中になる熊… その先はよく覚えていないが、最終的に熊と和解し、「追いかけてたのは、君のことが好きだったからなのに…」と熊から告白される(メルヒェンの熊は喋る)。
「森のくまさん」状態か。追いかけ回される夢はとても疲れる。
動物に好かれる夢をよくみる・・・なぜなのだろうか(以前巨大帆立貝に襲われる夢を見た事がある。恐怖でしかない)。

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この「森のくまさん」、どんな歌詞だったか思い出してみる・・・が、最近ご無沙汰している為全部は出てこず、結局ネットで検索する事にする。「すたこらさっさのさー」という歌詞があった様な気がするが、何だかそれは変だ・・・と思ってみたところ、本当にそんな歌詞で失笑する。・・・メルヒェンの世界とお嬢さんのイメジが壊れる程、変。加えて、熊は前半で「お逃げなさい」と云うにも関わらず、「お待ちなさい」と後々云うのか、この点も記憶違いかと思い調べると、やはり歌詞にあり、尚且つその点について不思議に思っている人が多数居る事に気がつく。
「かごめかごめ」等、日本には暗示的な歌詞の歌がある一方で、「森のくまさん」は外国の民謡を和訳した歌であるから、どこかその作業中でミスかどう仕様も無い点が、不条理な歌詞に残されたに違いない、と私は考えるのだが。ネットでいろいろな方の文を拝見したところ、「お嬢さん お逃げなさい」と云ったのは「くま」では無く「トリ」で、放送する際に担当者が間違えたのだとか、英語の原曲では「銃を持っていないが お前は逃げなくて大丈夫なのか」(ちなみにお嬢さんもイヤリングも出てこない。猟師が熊を敷物にする話)となっていて、和訳する時無理矢理引き抜いてきたのだとか、或いは暗示的な歌詞と取った上で種種の解釈が見られた(「森のくまさん 歌詞」で検索すると解釈が多く見られる)。個人的には、やはり単なる間違いなのでは、と思う(上記の一つ目、二つ目が妥当なのでは)。少し勉強になった。
世間一般で求められる解釈としては、「私は怖い熊なので、丸腰で居ると危険ですよ、と危険意識に欠ける嬢に解き逃がした。は良いが、イヤリングが落ちている事に気がついた熊(実は優しい)は、嬢に返してあげるべく追いかける。そんな優しい熊に感動した嬢(実はまだ事態をよく分かっていない)は、熊と踊る」くらいだろうか。
ちなみに、なぜ「森のくまさん」の歌詞を忘れるに至ったか、というと、呑み会のイッキコールに、「森のくまさん」の替え歌がある所為である。※イッキは、「やっても大丈夫」と確信出来る人にのみ、仕掛ける事がとても重要。下手をすると、死にかねない。

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ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)--「空飛ぶ聖座」と呼ばれた--が2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)、バチカンの法王宮殿で死去。ポーランド人だとは初めて知った。戦争と平和、保守と革新の大変な時代に着任し生きた方だと思う。
戦争、といえば、明け方熊の夢を見る前に、原爆か空襲直後の死傷者のある風景の夢を見て、あまりに恐ろしすぎて目を醒ます。ショックで感触しか残っていないが。何だったのだろうか(何度か行った事のある資料館や、体験者の話の記憶だろうが、なぜ・・)。

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幾らなんでも、書き(散らし)過ぎ。頭が痛い。