手を握ってよ.

また地震が昨日あった様で。私の居住地域はさほど頻発しないのだが、そうやって安心していると、たまに大きく何度も揺れた時には本当に緊張と不安で一杯になる。(特に安普請でもう築20年の我が家はかなり揺れる為、いつ倒壊するかと思うと本当に恐ろしい)地震の被害に遭った方たちが、精神的に病んでしまったり睡眠障害を引き起こす事態が、そういうたまの大きな地震で実感に変わる。自然災害というものは、不意に起こる上に人間の手ではどう対策しようも無いのだが、被害に遭われた方々の無事を祈る。救援物資やボランティアも勿論毎回必要だが、こういう時関われる臨床心理士心理療法士?というのだろうか)の方々がもっと多く居れば、と思う。社会的にもやっと注目され出し、単なる「心理学」という学問の範囲を越えた臨床心理士の方々は今、もっともっと求められるべきなのではないか。「心のケア」と云われると何だか胡散臭いが、死ぬほど不安に陥っている時、穏やかな表情で手をひとつ握ってくれる人が居るだけで、人は安心する。・・・そう考えると、その筋の専門家でなくとも、素人の私でも出来る事はあるのかもしれない。

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しかし、ひとの不幸や大変な状態、というのは、いちいち自分が同じ境遇に立った事を想像又は回想する事でしか、実感・理解する事が出来ないのだろうか。身に覚えの無い事態や対象には歩み寄る事も歩み寄ろうとする事もしない。所詮他人の事は分からないのだな、と再確認してしまった。当たり前の事だが、寂しい生き物、生き物は寂しい。それであるからやっていける事が寂しい。

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暇、が脳を侵食する。来るな。

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ここより上は夜中に書いた記事なのだが、一般的に「夜に書いた文章は、恥じ入る程変に煮詰まっており濃い。ex.夜に書いた手紙は出すな」と云われるが、まさに其れで、まずタイトルが恥ずかしい。・・・けれど、面白いので、そのままにしておく。たまには良いだろう。
決定的な夢を何本も見過ぎて、精神的にヤられている。