「全部、君だった。」.

「一年前の今日」を思い出さずにはいられない、最大に後ろ向きの日、今日ばかりはどうしようもない。どうやって過ごすべきか、よくよく決めないまま、一日は始まって終わっていく。


すでに失われてしまってもう戻らないものを、いつまでもセンチメンタルに思い起そうとする、自分のそのいやらしさとしつこさといったら…。 時にふと思い出す程度でなぜ止められないのか。「もう無いのだ」という事を早く分かりたい。
結局は全部、私だった。
君ぢゃなくて。
本当は。

      • -

一日楽器を弾いていたい。(が、必ずと云って良い程、そうも行かない)
明日は楽団の練習日なので、そろそろ伴侶(楽器)を覚醒させてやらないといけないのだが、揺さぶってやれる時間、場所、技量(只今基礎技術革新中の為何も弾けない)が無いまま、彼はまだ睡眠中で、寝言の様な音しか聞こえない。

      • -

#4つまでは許せるが、♭3つは許し難く、♭4つからはもう読まない。ピアノで演奏する際は、かえって楽なのだが…そう考えると、黒鍵があって助かっている。

      • -

大学院生は、大学生とは違い、立場は研究者である。

      • -

裸足が好きだ。
勿論他の家にあがらせてもらう時や、靴を履く時は靴下なりを履くけれど、自宅にいる時は脱いでしまう。掃除されていなくて埃だらけの床や、冷た過ぎる床(自宅と自室はすべてカーペットが敷かれている為、冷たくはない。私は冷え性なのだ)、真冬はさすがに御免だが、裸足で歩くと、「自分は地に立って今歩いている」という実感と、足を包んでしまっているもやもやを取っ払った気持ち良さと程好い刺激が得られる気がする。また、その状態で楽器を弾く事も好きだ。良い意味で素に戻る事が出来、寛ぎながら弾ける様だ。東洋医学か何かでもよく云われるように、足の健康は即ち全身の健康で、足を快適にしてやると全身が快適になるのでは、と思う(足の裏のどこかが押すと痛む様であれば、そこに対応する身体のどこかに異変がある、とか)。

      • -

宵にうたた寝をしていると、楽器を階段から落としてしまって穴だらけ(傷だけではなく、なぜかぽつぽつと無数の穴が空いてしまっていた)にする夢を見た。たまに見る夢で、夢から醒めて「嗚呼夢で本当に良かった」と安堵する。大事なもの、当然のようにそばにあるもの、が突然壊れてしまう事を本当に恐れている、その一方で、いつか不意になくなってしまうのだろうな、と知っている自分がいる様だ。
夢診断をネットでしてみると、楽器は人間関係とひととのコミュニケーション、調和を表すらしく、それが壊れるという事は、コミュニケーション不足や不調和の状態にあるという事か。…外れてはいないが、正解かどうかは分からない。

      • -

一年経ったからか、今日を境に、何かが身から落ちた。
何も考えずに引き篭もっていて良かったのかもしれないが、夜風に当たりたかった。コンビニにくらいは、面倒臭がらずに行けば良かった。