ironic.

眠い…眠いのに眠ってはいけない苦痛といったら…! 眠くないけれども眠りたい時なども。
深夜〜明朝〜早朝作業中、鳥の声と新聞屋のバイクの音を聞きたくなくて(それらを聞くと焦る上に、切なくなって集中力が萎える)、好きなCDを手当たり次第、ヘッドフォンで聴く。耳に良くないし、いくらか作業能率も落ちているとは思うが、精神的には随分救われている。卒論等で本当に切羽詰った際は、耳栓をしていたが。
そして必死に読んだ論文は、「翻訳の喜びと問題」という題のついた英語論文なのだが、他人の翻訳を細かに批判して、結局翻訳は楽しいですよ、と云って完結してしまった。「今までの私の記述で楽しさを読み取れ」と云っているのだろう、具体的に何がどう楽しいのか、まとまった記述が無い。「なんじゃこりゃあ」、と睡眠不足のハイテンショーンの中、ジーパン刑事(松田優作)並に叫んだ。なんて独りよがりな論文なんだ…特に得るものは無く読破した。これをどうまとめて発表しろ、というのだろうか。「だめだこりゃ」
そして肝心の授業に、何とか準備を間に合わせて出席すると、論文は全部読まなくともよかった様で、しかも準備したのにも関わらず発表順を飛ばされかけた。
毎回そんな事があるような気がする。つまり、準備を苦労してきっちりやって臨んだ時にはろくろく役に立たない、が逆に準備に自信が無かったり分からなくて放っておいた箇所に限って、発言を求められるのだ(そしてまともに発言出来ない=準備が出来ていないように評価される。他は出来ているのに…)。
いやはや、随分世界はうまく出来ているのだなあ、と思う。
やってられない。

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苦境は逃げずに乗り切った(膨大で手のかかる準備を必要とする授業が二つある)、という事で、勉強する気力は戻ったのだが(このまま「出来ない奴」と思われるのは悔しい)、何だかやはり周囲に馴染めない気持ちになり、結局は一日の終わりには「マイナス」な気分になっていた。
何たって私はこんなに不器用なのだろうか。

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大学院に進学するまで、英語の聴き取りや会話と御無沙汰していた所為か、無いに等しいくらい実用的な英語の力が落ちてしまっている。使わないと落ちる、という事を正に体感している。今後も要注意。

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気晴らしに、某大学の某譜庫(書庫に大量の楽譜が保蔵されている場所)に行き、欲しい楽譜を取り出すついでに、某大学内をぶらぶら散歩してみた。部外者だと、何だか落ち着かない。特に図書館に特別に入館させて貰っている時も、侵入者的心地の所為で余計に挙動不審に陥った。 …さすがは伝統的名門大学、さすがは新島襄…何もかもが違う。そこに違和感すら感じるとは、相当だ。
図書館では、書物に向かっている学生より、PCに向かっている学生の方が多いのではないか、というくらい、PCコーナーは学生でぎっちり埋まっていた。紙の書物も将来はすべてデータ化されるのではないか、と思うくらいそれは少し異状な風景だ。図書館の設備と蔵書が充実している、という点は、教育施設として最も重要な点のひとつだろうが、他の施設や校舎の規模の小ささはまあ許せるとして、我が大学の「おまけ」程度の付属図書館では、教育施設、学究施設としてその大学は一体、何の利点と意義があるのか、さっぱり分からない。
まあ、何処に何がどんなレヴェルで存在しているのか、ほぼ全部把握出来るお粗末さの我が大学は、何だかんだと云っても居心地が良いので私は棲みついている訳であるが。こうなれば、豊富な資料がある施設を学外に求めて、大学の街を駆け回るしかなかろう。
それも幾分か日日の楽しみにはなるかと思っている。