梅雨と治癒.

雨音で目覚める朝は、「本が濡れるのが嫌、面倒臭い」と思うのと同時に、「雨は何となく嬉しい」と思って始まる。やはり、梅雨無しに行き成り夏が来る事は困る。暑い夏に向かう心の準備が出来ない。(実際水不足や農業の問題他、そんな呑気な話ではないのだが)

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心の傷を大きな「包帯」で覆い隠す事で、日常生活を無事にやっていくだけの力は有るらしい。一旦「包帯」を広げて生活を無事にやっていく事は楽な事ではないし、また本当に沢山の事を考え、消化・吸収・昇華させていかねばならないにしろ、頑張れば何とか解決出来る事だ。がしかし、「包帯」の下の傷は、どう足掻こうが何か切欠がない限り、自分で消毒・治療するにはどうしようもない広さと深さまで広がっているらしい。アルコホルや不意にその「包帯」を退かす力がやって来た時、その傷は露になり、操作不可能の情緒不安定に陥る(此処だけは比喩ではない)。
放っておいてもきっと永遠に治癒する事はないだろうし、自分でどうにか出来るレヴェルを終に越えてしまったらしい。これはもう、専門家に相談するしかないのかもしれない。
少し「うまく人を頼りにする事」を覚えた。
きっといつかはよくなると思う。私は頑張る。

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…まあしかし、或る時期特有の情緒不安定も混在している事は明らかである為、もう暫く様子を見る事で時期をやり過ごすか。

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昔読んでいたBLと取られかねない本若葉のころ (凜一シリーズ) (集英社文庫)*1の文庫版を、久々に手に取る。
さすがに読んでいたのが昔であるだけあり、今読むと、やたらと艶っぽさと粋を感じる作品である事に気がついた。結局分かって読んではいなかったのか…と、自分の過去の青さと無知(純粋、等というものではなく)も同時に発見した。

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450円でたっぷりのスープとふわふわのバゲッドがついてくるメニューは、財布とお腹に優しい。本日の生の感動。…それくらい自宅でも作れる、という事か。

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英語は、速く読もうとするからつっかかる。ゆっくりと、正しく(速く読んだ場合略される部分は正しく略して)読む事から始めると良さそう。分かりきった事だが、日本人が英語を喋ろうとするならば、まずは変な羞恥を捨てる事だ。(日本人である事と日本語話者としてのプライドは捨てなくて良いと思う)

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川端康成を読んでいる。この作家をノーベル賞と決定した外国人は、どう読んだのだろうか。どういう意味合いで決定したのだろうか。

*1:私は断固として否定していたが、女性が作り出すそれなんぞ、所詮はやはり想像と妄想でしかない訳で、虚構とされて当然であり、虚構である事を当然として書かれている場合もあるが。BLは、個人的には偏見はせず多少の免疫は有るつもりだが、「有りえない」という意味で拒絶反応が出る為、手に取る事はない。男性の手による同性愛もの、つまり別物ならば拒絶しないのだが。この作品は、女性作家と女史の好みによるもので有りながらも、虚構に付き纏う「不自然さ」が無く、純文学と捉えたいと感じられた為読んできた。そもそも、女史の作風と扱う題材が好きなのだ。少々「際どい」と捉えられる場合が多いが。勿論、他の題材の作品も多くあり、幻想文学的な作品や児童文学に近い作品も見られる。宮沢賢治の世界がお好きな様で、少年文学とも云えるかもしれない。--極めて曖昧な定義だが 今現在は、この本とはまた違い新たな作風と題材、思想、嗜好の作品を文芸誌にて連載しておられる。一人の作家を追い掛ける事の楽しさは、そういった変化を追う事にあると思っている。