上昇の意思.

自分でキリ番、オメデトウ。
書き出して250日目の本日で20000hitsです、何かのご縁で閲覧して下さっている(下さった)方々、有難うございます。

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少し外出した以外は引き篭もりの今日は、一日雨だった。最寄り駅に着いてから定期券を自宅に忘れてきた事に気がつき、歩いてきた道をまた20分かけて戻る。外出の目的を果たした、というより、ウォーキングをした、という印象で終わる。途中、スコールの様な大雨に会い、やはり雨の日は屋内に居たい気になった。濡れても構わない、むしろ濡れたい時もあるくらいなのだが、荷物があったりデリケートな靴を履いている時は、どうも雨は迷惑なものでしかない。

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近頃また、現実と混同しそうな夢ばかり見る。身近な人や知り合いが出てくる夢は、彼ら彼女らの言葉が、自分に対する忠告である事が多い、とよく事典等に書かれている。確かに今の私の状態を考えると、その見解は事実と取っても良さそうである。しかし云われた事すべてを吸収しようとすると、眠った気にならないのだ。辛辣な言葉が8、9割、すっと心と身体に沁み込む様な安息の感をもたらす言葉は1割である為、覚醒しても起床する気力がなかなか湧いてこない。
が、自分で自分の答えを探り知る事が出来る事は、幸いだ。
有難い事に、私の状態を気に掛けてくれる人達が居るらしい。自分の事で手一杯の生活の中で、窺い知ったり直接的に働きかける事は決して出来ない他人の事を、少しでも考えるという事は、大変で辛い事であると思う(いくらその人の事が好きであっても、他人であるのだからどうする術もない。又、そう分かっているからこそ辛い)。 貰うばかりではいけないと思う。自分で頑張りたい、出来るところまで。
ごめん。

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私は「頑張る」事で自信を何とか得る事が出来るらしい。よって、「頑張らない」と自信は湧かない。自信がないと頑張れない。
自信がない時は、少しずつでも頑張る事から始めるしかない。
頑張りたい。

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明日は練習で、六時起き予定である。本番二週間前でそろそろ大詰め…私だけ切羽詰まっている。

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今日の読書>おわらない夏 (集英社文庫) 小澤征良さんのエッセイ。私の場合、幼い日の記憶は、思い巡らしてもすっと出てこないが、ふとした切欠(例えば場所や物、感情等)で断片的にずるずると甦る事がある(プルースト失われた時を求めて』の冒頭--紅茶につけたプチ・マドレーヌの味から記憶が甦り始める--様な感じで)。こんな風に、本を一冊かける程ではないが、結構書いてみると発見があったり、他人には面白く読んでもらえるかもしれない。
夏の日々が終わってしまう切なさと、永遠に戻らないいとおしい夏の記憶が、心に沁みる一冊。

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或る音楽や小説等の内容を、自分に重ね合わせて悦に入ったり陶酔する事の恥ずかしさと云ったらないが、どうしてもそうしてしまうという事は、それらのものというのはそもそも、そういう目的が暗に(大っぴらな場合は、手を出したくなくなる)含まれているからだろうか。もしくは、人間だれしも似通っている、という結論の方に達するのだろうか。
まあ仕方がないが、気恥ずかしい。
今日のシンクロ(という云い方も何だかアレだ…)>サイレン (CCCD)
「僕にくれよ」と云う男性と、「私なんて要らないよきっと(でも誰か見つけてほしい)」と云う女性のシンメトリーが、一枚に収まっている逸品。「合わせ鏡のような」という紹介文をよく見かける。