天上の羊.

眠れない時なぜ羊を数えるのか、
という疑問の答え等を、以前英語学の講義で聞いて面白く思った記憶はあるのだが、半覚醒状態だった為ノートが残っていない。よって、今となって急に確認しようとしても無理である事が悔しい。
ただ、魂や死に関する英単語には、"s"が付く、という話は覚えている。spirit, sea, soul, star, sheep等である。死する後は、母なる海に帰る、というヨーロッパの思想の反映ではないか、という話だ。
確か、バビロニア云々、という話だった様に思うので、その筋で検索をかけてみた。
バビロニアでは、星を「天の羊」と呼んだらしく、羊を数える=星を数える、という事なのではないか、という事だ。では、羊、とは何の象徴か、バビロニアの人々にとってどんな存在であったのか、という疑問点が浮上するが、これはまたの機会に調べようと思う。が、星の存在つまり、「人の運命は、生まれた時の星の位置と動きで決定される(ex.土星の下に生まれた者は粘着質、メランコリー気質)」という謂われから推測するに、星は人々の生活を左右するものである。暦が星から作られ、暦の通りに人々は生活を営む。そういう意味で、羊が地上の生活必需の生き物であるのと同様、天では星が必需だったのかもしれない。
私がこの国で見る羊は、囲いの中でべえべえと鳴き(たまに可愛らしくめえめえと鳴く子羊もいるが)無愛想で退屈そうな顔をしているし、「天上の羊」も同様に、普段は汚染された空で鈍く輝いている。ちっとも有難味も愛想も畏敬を抱かせる様な様子もない。
星と羊、単に「いっぱいいるもの」の比喩なのかもしれないし、土地に羊がいる様子を天球に映した時の羊といえば星、なのかもしれない。生活から出てきた思想というものは、そんなに突飛ではないはずだ。
ちなみに、私の枕元には、デフォルメされた愛らしいカラフルな羊が一頭、私が毎夜眠りに就くのを見守っている。(たまには私によって、空に舞い上がり後床に叩きつけられるか、突然愛撫を受ける羽目になる)…毎日星と宇宙に見守られて眠るのだ、と考えれば、少しは安らかな眠りに落ちる事が出来るかもしれない。
昨夜は蜂の大群に襲われ、家に逃げ込んで隙間という隙間にガムテープを貼り、蜂の侵入を防ぐ、という夢と、雨の中病院を探す妊婦を助ける夢を見た。蜂は要注意モチーフらしい。そんな事は分かっている、どうしたらいいのかが訊きたい、が自分の事だから仕方がない。

      • -

浴衣を久々に着る。暑いところでは涼しく、寒いところでは暖かく機能する。風通しが良い上に、身体をやさしく包み込む。和服は素晴しい。

      • -

待つ事には慣れている。が、待つ事は嫌いだ。こちらがあれやこれやと思考と杞憂を捏ね繰りまわしているのにも関わらず、向こう側からは結果しかやってこない。
ドタキャンかな?と案じている先から、いつもの笑顔でやって来る私の待ちびとは、やっぱりあたたかだった。フアンでユウウツな顔をして出迎えようと思っていたのに、そんな企みはひとの前で呆気なく昇華し、笑顔の返事へと変化してしまった。