蓼喰い虫と泣き虫.

たとえ或る一人が絶不調であっても、一日の始まりはやってくる。
早朝に祖母宅に仮湯をしに行き、その足で大学に行く。眠気と鬱の痛みに何とか耐えて、少し楽器を弾いた後早々に帰宅する。
小旅行の予約をネットとメールで一人作業して完了するも、一緒に行くひとや宿の都合はそんな仮想世界でぴったりと合う訳がなく、予約完了報告と共にひとにああだこうだと都合の説明をする。人一倍不器用、臆病、引っ込み思案、おっちょこちょいな私が、旅行の予約を全部一人でした事は、情けない事に今回が始めてで、本当に緊張と細心の注意を払い頑張ったつもり(電話等は案外すんなりかける事が出来たので、「見知らぬ先に電話」はそろそろ慣れてきた感があり嬉しい)であったので、思い違いや済んでしまった事を指摘され落ち込んだ。
泣くと少し、鬱と一緒に疲れが落ちた。「仕方が無い」と割り切る事も、世渡り上手の力のうちなのだろう。

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不器用ながら、少し手を伸ばしみる事にした。
泣き虫だし。

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私が生まれて始めて購入したクラシックのCDは、ヴィヴァルディ「四季」であった。繰り返し聴いた為か飽きてきて、近頃まで収納棚の奥に押し込んでいたのだが、久々に聴いたり楽譜を取り出して弾いてみると、その「良さ」に取り憑かれた。和声がまず美しい、と云うべきだろうか。
「夏」等、十数年前は「何と暑苦しくて枯れた曲だろう」と思っていたのだが、今では聴くと鳥肌が立つ程好きだ。緊張感、嵐の前、嵐そのもの、後の雰囲気が特にぞわぞわする。
三つ子の魂百まで、と云う一方、変わる嗜好もあるものなのだなあ、と実感す。