たわわ.

久々に自宅が静かで、惰眠を貪る。その後、そろそろ着手しなければいけない課題と講義準備の為の資料を探しに、図書館へ行く。徒歩五分の場所に数十分だけ居る、という予定の外出の場合、身繕いがどうしても手抜きになってしまう。手抜きをしても気にしなくなってきた。それはそろそろいけない傾向だ。身の回りはすっきりきっちり、を心掛ける事が出来るのは、調子が良い時である事が、まずまずいのかもしれない。

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ここ数日仕合せな事に、メロンを毎日戴いている。今日など、二切れも平らげた。とろんと熟れて甘いメロンか、かりっと「瓜」という食感のメロンか、どちらが好きかと問われると難しい。どちらかというと、私は堅めの若い方が好きである。バナナや桃についても同様だ。しかし桃は更に、回答し難い。どちらも旨い。夏といえば、そろそろネクタリンが懐かしくなる時期だ。

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クラフト・エヴィング商會と吉田夫妻の作品を久々に手に取る。比較的新しいものを、図書館から借りた。

クラウド・コレクター―雲をつかむような話

クラウド・コレクター―雲をつかむような話

↑始めて読了し始めて購入したものは、今でも本棚の中の宝物扱いで自室にある。推理仕立てで何重にも楽しい。

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野菜を沢山育てている御近所の御宅で、たわわになり熟れ、今にもとろけて地に落ちそうなトマトを見かけると、嗚呼暑い夏が来たのだなあ、と思うのだ。

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お金さえあればいつでも何でも旨いものを口に出来る現在の日本で、今日は久々に祖母の手作りを口にした。たった二切れの素朴なカツサンド(カツ、レタス、胡瓜が、ふつうの食パンに挟まっている)が、妙に美味しく感じられた。思いがこもった、人の手によるものは、とても沁みる。特別な昼食を食べた気がして、大層気分が良かった。

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久しぶりに楽譜を書いた。時間が経つにつれて、明らかにレイアウトが崩れていく点が可笑しい。不揃いで御機嫌斜めなおたまじゃくし達が、五線譜の川を泳いでいく。

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平気で恥ずかしい科白を云う事が、受け取る事が出来る(後から思い出して赤面するか、「どうかしていた」という事にする事は有るにしろ)ところは、おかしな一致である。片方がロマンティストでもう片方がナルシストなのだろう、きっと。片方が嬉しがりもう片方はそれで良いと思っているのだろう、きっと。

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以前好きだったひとから、メールが届く。或るひとつの事を、無事やり遂げた事の報告であった。思うがままを率直に、祝福を込めて返信する。
が、その後何も返って来なかった。この関係、今後を定めないままの曖昧な関係はもう、どこにも向かわないのだ、とお互い分かり始めたのかもしれない。諦めた方が良い事もある。そう分かっていながら、お互いつまりはエゴだけで以って、無いもの強請りをしてきただけなのだ、という事をお互い理解すれば、楽になれるだろうに。
私は変わる。新しい関係のなかで。もうあのひとのヴィジョンには添い続ける事は出来ない。もう失望されても構わないのだ。