空蝉.

待ち合わせ時間を遅めに設定したらば、随分とのんびり過ごしてしまった。否、のんびりし過ぎである。やはりものは早く取り掛からないと、ルーズでのんびり屋の私には良くないらしい。
のんびり中、久々に手の爪の手入れと御洒落をし、髪型も少しアレンジを加えてみた。格好は相変わらずであったが。こういう時は決まって、「おんなのこは楽しいな」と感じるのだ。

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空模様が怪しかったので、外出先で用事を果たした後、研究室に居座らずに早々に帰宅したのだが、結局天気はもってしまった。どうも天気の予想が下手くそである、もしくは、「天気運」が無い。…まあ降られなかっただけましであろう。
昨日帰りしな、木の下で蝉が一匹、腹を上にして横たわっていた。死んでしまったのか、ただ木から落ちたのか、と思い靴の先で揺らしてみると、じいじい鳴いて足をばたつかせた。裏返してやった方が良いのか(でないと生きているうちに蟻の餌になってしまう)、と思っているとまた動かなくなった。それを覚えていて今日、同じ場所で蝉を探してみると、もう静かに「もの」となっていた。生気は蟻が持って行ってしまったらしく、すっかり抜け殻になってしまった(第二の抜け殻か)。最も生らしい生の後、死が静かにやって来るのか。

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不安で仕方が無いが、その不安は、不安に思ったところで払拭されるものではないと、私は知っている。調子が悪い時は、そういう堂々巡りに自分で自分を巻き込んでしまい、出口の無いところを疲れて眠りに落ちるまで、連れまわす。
目が醒める程の痛み、此処にいる事の実感が欲しい。そう思っていた。台所でグレープフルーツ(ころっとまん丸く、丁度良く大きく、目が醒める程鮮やかに黄色い、程好く柔らかい)を家族分に切り分けていると、包丁の先が指を掠めた。じわじわ沁みる痛みに、「自分の実感」を覚え少々恍惚としたが、痛いものは痛かった。痛い。